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えど【江戸】🔗⭐🔉
えど【江戸】
現在の東京都千代田区を中心とする地域。古くは武蔵(むさし)国豊島郡の一部であったが、平安末期、秩父(ちちぶ)平氏の一族江戸氏が今の皇居の地に居館を造り、室町時代、上杉氏の将太田道灌(おおたどうかん)が江戸城を築いてから城下町として発達、さらに天正一八年(一五九〇)徳川家康が入城して以来、幕府の所在地として繁栄した。一八世紀ころの地域は、おおよそ東は亀戸(かめいど)、西は新宿、南は大崎・南品川、北は千住・尾久(おぐ)辺りの範囲内。幕末の総町数は二七七〇余、推定人口一〇〇万に上った。慶応四年(一八六八)七月東京と改称、翌年には首都となった。
新吉原から見て、遊郭外の江戸市内、特に神田・日本橋辺りをさしていった語。「今日は―へ参りました」〈洒・遊子方言〉
新吉原遊郭の五町の中の江戸町。「―から京(=京町)まで残らず素見(すけん)なり」〈柳多留・一四〉
現在の東京都千代田区を中心とする地域。古くは武蔵(むさし)国豊島郡の一部であったが、平安末期、秩父(ちちぶ)平氏の一族江戸氏が今の皇居の地に居館を造り、室町時代、上杉氏の将太田道灌(おおたどうかん)が江戸城を築いてから城下町として発達、さらに天正一八年(一五九〇)徳川家康が入城して以来、幕府の所在地として繁栄した。一八世紀ころの地域は、おおよそ東は亀戸(かめいど)、西は新宿、南は大崎・南品川、北は千住・尾久(おぐ)辺りの範囲内。幕末の総町数は二七七〇余、推定人口一〇〇万に上った。慶応四年(一八六八)七月東京と改称、翌年には首都となった。
新吉原から見て、遊郭外の江戸市内、特に神田・日本橋辺りをさしていった語。「今日は―へ参りました」〈洒・遊子方言〉
新吉原遊郭の五町の中の江戸町。「―から京(=京町)まで残らず素見(すけん)なり」〈柳多留・一四〉
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