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はせがわ‐とうはく【長谷川等伯】はせがは‐🔗🔉

はせがわ‐とうはく【長谷川等伯】はせがは‐一五三九〜一六一〇]桃山時代の画家。能登の人。名は又四郎、のち帯刀(たてわき)。初め信春と号して仏画を描いたが、のち京都に出て諸派の画法を学び、名も等伯と改め、日本独自の水墨画様式を確立。また、華麗な金碧障壁画も手がけ、狩野派に並ぶ長谷川派を形成した。作「松林図屏風」など。

はせがわ‐としゆき【長谷川利行】はせがは‐🔗🔉

はせがわ‐としゆき【長谷川利行】はせがは‐一八九一〜一九四〇]洋画家。京都の生まれ。フォービスム風の筆致と色調による独自の詩情で知られる。

はせがわ‐にょぜかん【長谷川如是閑】はせがは‐🔗🔉

はせがわ‐にょぜかん【長谷川如是閑】はせがは‐一八七五〜一九六九]ジャーナリスト・思想家。東京の生まれ。本名、万次郎。新聞記者を経て、大山郁夫らと雑誌「我等」を創刊し、自由主義批評家としてデモクラシー思想を鼓吹。文化勲章受章。著「現代国家批判」「日本的性格」「ある心の自叙伝」など。

はせがわ‐は【長谷川派】はせがは‐🔗🔉

はせがわ‐は【長谷川派】はせがは‐ 桃山時代から江戸初期にかけての画派。長谷川等伯(はせがわとうはく)を祖とする。

はせがわ‐へいぞう【長谷川平蔵】はせがはヘイザウ🔗🔉

はせがわ‐へいぞう【長谷川平蔵】はせがはヘイザウ一七四五〜一七九五]江戸後期の幕臣。名は宣以(のぶため)。先手弓頭となり、火付盗賊改を加役としてつとめた。老中松平定信の命により、人足寄場の設置を献策。

はせがわ‐まちこ【長谷川町子】はせがは‐🔗🔉

はせがわ‐まちこ【長谷川町子】はせがは‐一九二〇〜一九九二]漫画家。佐賀の生まれ。家庭生活を素材にした「サザエさん」で人気を博し、家庭漫画の一典型を確立。ほかに「意地悪ばあさん」など。国民栄誉賞受賞。

はせがわ‐りゅう【長谷川流】はせがはリウ🔗🔉

はせがわ‐りゅう【長谷川流】はせがはリウ 剣術の流派の一。天正(一五七三〜一五九二)ごろ長谷川宗喜が創始。砲術の流派の一。近世初期、長谷川八郎兵衛一家が創始。流鏑馬(やぶさめ)の流派の一。奈良春日神社の祭日に、御祭奉仕の長谷川氏が行ったもの。

はせ‐かんのん【長谷観音】‐クワンオン🔗🔉

はせ‐かんのん【長谷観音】‐クワンオン 長谷寺(はせでら)の通称。

大辞泉 ページ 12063