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ウィーラント【Wieland】🔗🔉

ウィーラント【Wieland】 (Christoph Martin 〜)[一七三三〜一八一三]ドイツの詩人・小説家。レッシングと並んで、ドイツ啓蒙主義の代表者。叙事詩「オーベロン」、小説「アガトン物語」。(Heinrich Otto 〜)[一八七七〜一九五七]ドイツの有機化学者。胆汁酸の構造を研究。また、生体内の化学反応における脱水素反応説を提唱し、酸化説をとる、ワールブルクとの論争が有名。一九二七年、ノーベル化学賞受賞。

ヴィールス【ドイツVirus】🔗🔉

ヴィールス【ドイツVirus】 ウイルス

ウィーン【Wien】🔗🔉

ウィーン【Wien】 オーストリア共和国の首都。ドナウ川沿いにあり、ウィーンの森など緑が多く、ハプスブルク家オーストリア帝国の首都として繁栄、音楽の都とよばれる。歴史的建造物が多い。近郊にはシェーンブルン離宮などがある。ビエンナ。人口、行政区一五六万(一九九二)。◆「維納」とも書く。

ウィーン【Wilhelm Wien】🔗🔉

ウィーン【Wilhelm Wien】一八六四〜一九二八]ドイツの物理学者。熱放射を研究し「ウィーンの輻射(ふくしや)法則」「ウィーンの変位則」を発表、プランクの量子仮説の先駆をなした。一九一一年、ノーベル物理学賞受賞。

ウィーン‐かいぎ【ウィーン会議】‐クワイギ🔗🔉

ウィーン‐かいぎ【ウィーン会議】‐クワイギ 一八一四年から一五年にかけてウィーンで開かれた国際会議。フランス革命とナポレオン戦争後のヨーロッパの国際秩序の回復を図ったもので、この会議の結果、革命前の状態への復帰をめざす正統主義と、大国の勢力均衡とを二大原則とするウィーン体制が成立した。この会議は諸国の利害が対立して遅滞し、「会議は踊る、されど進まず」と風刺された。

ウィーン‐がくだん【ウィーン学団】🔗🔉

ウィーン‐がくだん【ウィーン学団】 一九二〇年代後半に哲学者シュリックを中心としてウィーンで結成された、主に社会科学者・自然科学者などの一団。形而上学の解消や哲学の科学化を目ざし、実証主義と記号論理学を結びつけ論理実証主義の進展に寄与、また分析哲学が生じるきっかけをつくった。

ウィーン‐がくは【ウィーン学派】🔗🔉

ウィーン‐がくは【ウィーン学派】 オーストリア学派

ウィーン‐こくりつかげきじょう【ウィーン国立歌劇場】‐コクリツカゲキヂヤウ🔗🔉

ウィーン‐こくりつかげきじょう【ウィーン国立歌劇場】‐コクリツカゲキヂヤウ ウィーンにあるオーストリア国立の歌劇場。一八六九年、宮廷歌劇場として創設された。

大辞泉 ページ 1237