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ふじわら‐の‐もとひら【藤原基衡】ふぢはら‐🔗⭐🔉
ふじわら‐の‐もとひら【藤原基衡】ふぢはら‐
平安末期の陸奥(むつ)の豪族。清衡の子。秀衡の父。平泉に居館を構え、陸奥六郡を支配して奥州藤原氏三代の栄華を誇った。毛越寺(もうつじ)を建立。生没年未詳。
ふじわら‐の‐ももかわ【藤原百川】ふぢはら‐ももかは🔗⭐🔉
ふじわら‐の‐ももかわ【藤原百川】ふぢはら‐ももかは
[七三二〜七七九]奈良後期の公卿。宇合(うまかい)の子。初名、雄田麻呂。称徳天皇の没後、光仁天皇を擁立して道鏡を追放し、山部親王(桓武天皇)の立太子を実現するなど、藤原氏発展のもとをつくった。
ふじわら‐の‐もろすけ【藤原師輔】ふぢはら‐🔗⭐🔉
ふじわら‐の‐もろすけ【藤原師輔】ふぢはら‐
[九〇八〜九六〇]平安中期の公卿。忠平の子。通称、九条殿。娘安子が村上天皇の皇后となり、子の兼通・兼家、孫の道長と続く摂関家の祖となった。有職故実の九条流の祖。著「九条年中行事」、日記「九暦(きゆうれき)」。
ふじわら‐の‐やすひら【藤原泰衡】ふぢはら‐🔗⭐🔉
ふじわら‐の‐やすひら【藤原泰衡】ふぢはら‐
[一一五五〜一一八九]平安末期の陸奥(むつ)の豪族。秀衡の子。父の遺言で源義経をかくまったが、頼朝方の圧迫に耐えかね、衣川の館(たて)に攻めて殺した。のち、頼朝に攻められて逃走中、部下に殺され、奥州藤原氏は滅亡。
ふじわら‐の‐ゆきなり【藤原行成】ふぢはら‐🔗⭐🔉
ふじわら‐の‐ゆきなり【藤原行成】ふぢはら‐
[九七二〜一〇二七]平安中期の公卿・書家。名は「こうぜい」とも。伊尹(これただ)の孫。三蹟の一人で、その筆跡を歴任した権中納言・権大納言から権跡(ごんせき)という。和様書道の完成者で、世尊寺流の祖。日記に「権記」がある。遺墨「白氏詩巻」「本能寺切(ほんのうじぎれ)」など。
ふじわら‐の‐よしつね【藤原良経】ふぢはら‐🔗⭐🔉
ふじわら‐の‐よしつね【藤原良経】ふぢはら‐
[一一六九〜一二〇六]鎌倉初期の公卿・歌人・書家。九条兼実の子。摂政・従一位太政大臣となり、後京極殿と称される。歌を俊成に学び、定家の後援者でもあった。書では後京極流の祖。家集「秋篠月清(あきしのげつせい)集」。九条良経。
大辞泉 ページ 13106。