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ほう‐じ【邦字】ハウ‐🔗🔉

ほう‐じ【邦字】ハウ‐ 日本の文字。漢字とかな。国字。「―新聞」

ほう‐じ【奉侍】🔗🔉

ほう‐じ【奉侍】 [名]スル貴人のそばにいてその人のためにつくすこと。「君命是れ聴て一心之に―するを」〈加藤弘之・国体新論〉

ほうじ【宝治】ホウヂ🔗🔉

ほうじ【宝治】ホウヂ 鎌倉時代、後深草天皇の時の年号。一二四七年二月二八日〜一二四九年三月一八日。

ほう‐じ【宝璽】🔗🔉

ほう‐じ【宝璽】 天子の印璽。御璽(ぎよじ)。玉璽。

ほう‐じ【抱持】ハウヂ🔗🔉

ほう‐じ【抱持】ハウヂ [名]スルいだき持つこと。「王を―し、遂に殺さる」〈東海散士・佳人之奇遇〉

ほう‐じ【法事】ホフ‐🔗🔉

ほう‐じ【法事】ホフ‐ 死者の追善供養のために行う仏事。特に、四十九日まで七日目ごとに行うものや年忌をいうことが多い。法要。

ほう‐じ【△保持】‐ヂ🔗🔉

ほう‐じ【保持】‐ヂ [名]スルほじ(保持)

ほう‐じ【封事】🔗🔉

ほう‐じ【封事】 ふうじ(封事)

ほう‐じ【×捧持】‐ヂ🔗🔉

ほう‐じ【×捧持】‐ヂ [名]スルささげて持つこと。「遺影を―する」

ほう‐じ【報時】🔗🔉

ほう‐じ【報時】 標準時刻を知らせること。日本では現在、郵政省電波研究所から標準電波で報時信号を出して行っている。

ほう‐じ【×示・××爾】ハウ‐🔗🔉

ほう‐じ【×示・××爾】ハウ‐ 《「ぼうじ」とも》領地・領田の境界を示すために、くいや石柱などを立てること。また、その立てたもの。馬場の仕切り。庭の築垣(ついがき)

ほう‐じ【×鳳字】🔗🔉

ほう‐じ【×鳳字】 《「世説新語」簡傲から》「鳳」の字を二つに分けると「凡」「鳥」となるところから、才能のない平凡な人物をあざけっていう語。

ほう‐じ【×鳳児】🔗🔉

ほう‐じ【×鳳児】鳳雛(ほうすう)」に同じ。

ほう‐じ【褒🔗🔉

ほう‐じ【褒 中国、周の幽王の后。褒の国の人が献じたところからの名。幽王はなかなか笑わない后を笑わせるために平時にたびたび烽火(のろし)を上げて諸侯を参集させた。のちに、申侯が犬戎(けんじゆう)とともに周を攻めたとき、烽火を上げたが諸侯は集まらず、幽王は殺され、褒は捕虜になったという。

ほう‐じ【褒辞】🔗🔉

ほう‐じ【褒辞】 ほめたたえる言葉。褒詞。

ほうし‐うた【法師歌・法師×唄】ホフシ‐🔗🔉

ほうし‐うた【法師歌・法師×唄】ホフシ‐ 《もと盲目の法師が作曲し、歌ったところから》地歌・上方歌の異称。

ほうし‐おんせん【法師温泉】ホフシヲンセン🔗🔉

ほうし‐おんせん【法師温泉】ホフシヲンセン 群馬県北西部、利根郡新治(にいはる)村にある温泉。泉質は硫酸塩泉。弘法大師の開湯と伝える。

ほうじ‐かっせん【宝治合戦】ホウヂ‐🔗🔉

ほうじ‐かっせん【宝治合戦】ホウヂ‐ 宝治元年(一二四七)三浦泰村が北条時頼と戦って敗れた事件。三浦氏一族が自害して滅亡したことから、北条氏の独裁体制が確立した。三浦氏の乱。

ほうじ‐ぎん【宝字銀】🔗🔉

ほうじ‐ぎん【宝字銀】 宝字丁銀および宝字豆板銀のこと。

ほうじ‐ぐい【×示×杭】ハウジぐひ🔗🔉

ほうじ‐ぐい【××杭】ハウジぐひ 境界に立てた標柱。さかいぐい。

ほうじ‐しんごう【報時信号】‐シンガウ🔗🔉

ほうじ‐しんごう【報時信号】‐シンガウ 天文台が標準時を知らせるために、標準電波にのせて発信する無線信号。正確な時刻を通報する方法。音・光などを用いる。

ほうし‐たい【胞子体】ハウシ‐🔗🔉

ほうし‐たい【胞子体】ハウシ‐ 世代交代を行う植物で、胞子をつくる無性世代の個体。造胞体。→配偶体

ほうじ‐ちゃ【×焙じ茶】ハウじ‐🔗🔉

ほうじ‐ちゃ【×焙じ茶】ハウじ‐ 二番茶以後の硬い葉と茎を強火で焙じた茶。

ほうじ‐ちょうぎん【宝字丁銀】‐チヤウギン🔗🔉

ほうじ‐ちょうぎん【宝字丁銀】‐チヤウギン 江戸幕府が宝永三年(一七〇六)から発行した宝永丁銀の俗称。表面に「宝」字の極印が打たれている。

ほうし‐のう【胞子×嚢】ハウシナウ🔗🔉

ほうし‐のう【胞子×嚢】ハウシナウ 胞子を内部に生じる袋状の生殖器官。成熟すると破れて胞子を散布する。シダ植物の葉の裏面やコケ植物の(さく)にみられる。

ほうし‐まさり【法師勝り】ホフシ‐🔗🔉

ほうし‐まさり【法師勝り】ホフシ‐ 法師となってから、人柄が俗人のときよりまさってくること。「なかなか―したる人になむ侍りける」〈源・若紫〉

ほうじ‐まめいたぎん【宝字豆板銀】🔗🔉

ほうじ‐まめいたぎん【宝字豆板銀】 江戸幕府が宝永三年(一七〇六)から発行した豆板銀の俗称。表面に「宝」字の極印が打たれている。

ほう‐じゃく【蜂=雀=蛾・鳳=雀=蛾】🔗🔉

ほう‐じゃく【蜂蛾・鳳蛾】 スズメガ科の昆虫。翅(はね)の開張約四・五センチ。前翅は灰褐色、後ろ翅は黄褐色。昼飛性で、ツリガネソウなど筒状の花に集まり、ハチドリのように停空して蜜を吸う。幼虫の食草はカワラマツバ・アカネなど。

ほう‐じゅ【宝珠】🔗🔉

ほう‐じゅ【宝珠】 《「ほうしゅ」とも》宝玉。宝珠の玉」に同じ。如意宝珠」に同じ。塔の相輪の一部で、水煙の上にのせる飾り。

ほう‐じゅう【放縦】ハウ‐🔗🔉

ほう‐じゅう【放縦】ハウ‐ [名・形動]何の規律もなく勝手にしたいことをすること。また、そのさま。放恣(ほうし)。放埒(ほうらつ)。ほうしょう。「―な生き方」 [派生]ほうじゅうさ[名]

ほうじゅ‐がしら【宝珠頭】🔗🔉

ほうじゅ‐がしら【宝珠頭】 擬宝珠(ぎぼし)

ほう‐じゅく【法×粥】ホフ‐🔗🔉

ほう‐じゅく【法×粥】ホフ‐ 禅寺で、朝食にとるかゆ。

ほう‐じゅく【豊熟】🔗🔉

ほう‐じゅく【豊熟】 [名]スル穀物が豊かに実ること。「―した稲穂」

ほう‐じゅつ【方術】ハウ‐🔗🔉

ほう‐じゅつ【方術】ハウ‐ 方法。手段。「別の―を講じる」わざ。技術。「卓抜な―」不老不死の術や医術・易占など、方士の行う術。法術。

ほう‐じゅつ【法術】ハフ‐🔗🔉

ほう‐じゅつ【法術】ハフ‐ 法律を実際に運用すること。法律によって国を治める術。法家の術。方術」に同じ。手段。方法。「これすなはち坐禅の―なり」〈正法眼蔵・坐禅儀〉

ほう‐じゅつ【砲術】ハウ‐🔗🔉

ほう‐じゅつ【砲術】ハウ‐ 火砲を操作する術。

ほうじゅ‐の‐たま【宝珠の玉】🔗🔉

ほうじゅ‐の‐たま【宝珠の玉】 頭部がとがり、その左右両側から火炎が燃え上がっている状態にかたどった玉。如意宝珠を表したもの。

ほう‐じゅん【芳潤】ハウ‐🔗🔉

ほう‐じゅん【芳潤】ハウ‐ [名・形動ナリ]香り高くうるおいのあること。また、そのさま。「文は漢魏の―に漱(くちすす)いで」〈太平記・一二〉

ほう‐じゅん【芳×醇・芳純】ハウ‐🔗🔉

ほう‐じゅん【芳×醇・芳純】ハウ‐ [名・形動]香りが高く味のよいこと。また、そのさま。多く、酒にいう。「―な銘酒」 [派生]ほうじゅんさ[名]

ほう‐じゅん【豊潤】🔗🔉

ほう‐じゅん【豊潤】 [名・形動]豊かで、うるおいのあること。また、そのさま。「―な土地」「―な音色」 [派生]ほうじゅんさ[名]

ほう‐じょ【×幇助】ハウ‐🔗🔉

ほう‐じょ【×幇助】ハウ‐ [名]スル手を貸すこと。手助け。援助。「国外から脱出を―する」他人の犯罪行為を容易にするため、有形・無形の方法で助力すること。「自殺―」

ほう‐じょう【方丈】ハウヂヤウ🔗🔉

ほう‐じょう【方丈】ハウヂヤウ 一辺が一丈(約三メートル)の正方形。一丈四方。また、その広さの部屋。「―の間(ま)維摩(ゆいま)経の主人公である維摩の、一丈四方の居室。転じて、禅寺で、住職の居室。寺の住持。また、住職の称。古代中国に起こった神仙思想による三神山の一。東方海上にあり、不死の薬を持った仙人が住むという。

ほうじょう【北条】ホウデウ🔗🔉

ほうじょう【北条】ホウデウ 愛媛県北部、瀬戸内海の斎灘(いつきなだ)に面する市。南部に高縄山がある。鹿峰瓦(かのみねがわら)の産地。人口二・九万。

ほうじょう【北条】ホウデウ🔗🔉

ほうじょう【北条】ホウデウ 姓氏の一。鎌倉幕府の執権家。桓武平氏の流れで、平貞盛の後裔時家のとき、伊豆北条に住んで北条と称した。時政が源頼朝の幕府創業を助け、のち、執権として数代にわたり幕府の最高実力者となった。小田原を根拠地に関東を支配した戦国大名。伊勢新九郎長氏(早雲)を祖とし、氏直のとき豊臣秀吉の小田原攻めで滅亡。後北条氏。

ほう‐じょう【芳情】ハウジヤウ🔗🔉

ほう‐じょう【芳情】ハウジヤウ 他人を敬って、その思いやりの心をいう語。芳志。芳心。「御―感謝致します」

ほう‐じょう【奉上】‐ジヤウ🔗🔉

ほう‐じょう【奉上】‐ジヤウ 貴人や目上の人にさし上げること。また、書状のあて名に添える語。主君に忠実に仕えること。「其―の忠亦万国に夐絶し」〈吉岡徳明・開化本論〉

ほう‐じょう【放生】ハウジヤウ🔗🔉

ほう‐じょう【放生】ハウジヤウ 捕らえた魚や鳥を放してやること。

ほう‐じょう【法条】ハフデウ🔗🔉

ほう‐じょう【法条】ハフデウ おきて。規則。規定。法律の条文。法令の条項。

ほう‐じょう【法×帖】ハフデフ🔗🔉

ほう‐じょう【法×帖】ハフデフ 書の手本とすべき古人の筆跡を石・木に刻して拓本にとり、折り本に仕立てたもの。広義には真跡・模写、碑文の拓本などを折り本にしたものも含む。墨帖。墨本。

ほう‐じょう【法城】ホフジヤウ🔗🔉

ほう‐じょう【法城】ホフジヤウ 仏法が堅固であり諸悪を防ぐことを、城にたとえていう語。法(のり)の城。

ほう‐じょう【法場】ホフヂヤウ🔗🔉

ほう‐じょう【法場】ホフヂヤウ 仏法を修行する場所。寺。

ほう‐じょう【豊壌】‐ジヤウ🔗🔉

ほう‐じょう【豊壌】‐ジヤウ [名・形動]土地が肥えていること。また、その土地や、そのさま。「我村落の美なる…そして―なるを祝福して後」〈独歩・帰去来〉

ほう‐じょう【豊×穣】‐ジヤウ🔗🔉

ほう‐じょう【豊×穣】‐ジヤウ [名・形動]穀物がみのりゆたかなこと。また、そのさま。「五穀―を祈る」「―な(の)秋」

ほう‐じょう【豊×饒】‐ゼウ🔗🔉

ほう‐じょう【豊×饒】‐ゼウ [名・形動]土地が肥沃(ひよく)で作物がよく実ること。また、そのさま。ほうにょう。「―な(の)大地」 [派生]ほうじょうさ[名]

ほう‐じょう【×鳳城】‐ジヤウ🔗🔉

ほう‐じょう【×鳳城】‐ジヤウ 《中国の漢代、門に銅製の鳳凰(ほうおう)を飾ったところから》宮城。皇居。禁裡。都。都城。帝京。

ほう‐じょう【褒状】‐ジヤウ🔗🔉

ほう‐じょう【褒状】‐ジヤウ 行為・業績などをほめることを記した文書。賞状。

ほうじょう‐あきとき【北条顕時】ホウデウ‐🔗🔉

ほうじょう‐あきとき【北条顕時】ホウデウ‐一二四八〜一三〇一]鎌倉中期の武将。実時の子。父の志を継ぎ、金沢文庫を隆盛にした。金沢顕時。

ほうじょう‐いん【放生院】ハウジヤウヰン🔗🔉

ほうじょう‐いん【放生院】ハウジヤウヰン 京都府宇治市にある真言律宗の寺。山号は、雨宝山。正しくは放生院常光寺。推古天皇一二年(六〇四)聖徳太子の願いにより秦(はた)河勝の創建と伝えられる。境内に宇治橋断碑がある。通称、橋寺(はしでら)

ほうじょう‐うじつな【北条氏綱】ホウデウうぢつな🔗🔉

ほうじょう‐うじつな【北条氏綱】ホウデウうぢつな一四八六〜一五四一]戦国時代の武将。早雲の子。伊豆・相模・武蔵・下総(しもうさ)などを征圧。小田原城下の商業発展を図り、後北条氏の基礎を確立した。

ほうじょう‐うじなお【北条氏直】ホウデウうぢなほ🔗🔉

ほうじょう‐うじなお【北条氏直】ホウデウうぢなほ一五六二〜一五九一]戦国時代の武将。氏政の長男。織田信長の没後、徳川家康と対立したが和睦。のち豊臣秀吉に小田原城を包囲攻撃され、降伏して高野山に追放。

ほうじょう‐うじまさ【北条氏政】ホウデウうぢまさ🔗🔉

ほうじょう‐うじまさ【北条氏政】ホウデウうぢまさ一五三八〜一五九〇]戦国時代の武将。氏康の長男。武田信玄・上杉謙信の攻防に連携・対抗しながら領土を確保した。晩年、豊臣秀吉に小田原城を包囲され、敗れて自刃。

ほうじょう‐うじやす【北条氏康】ホウデウうぢやす🔗🔉

ほうじょう‐うじやす【北条氏康】ホウデウうぢやす一五一五〜一五七一]戦国時代の武将。氏綱の長男。上杉憲政・古河公方(こがくぼう)足利晴氏を破り、武田・今川両氏と結んで関東進攻を図る上杉謙信に対抗し、後北条氏の最盛期を招いた。検地の実施や伝馬制度の整備など、領国経営に尽力した。

ほうじょう‐え【放生会】ハウジヤウヱ🔗🔉

ほうじょう‐え【放生会】ハウジヤウヱ 供養のために、捕らえた生き物を池や野に放してやる法会。殺生戒に基づくもので、奈良時代より行われ、陰暦八月一五日の八幡宮の祭りに催され、石清水八幡宮のものが有名。《季 秋》

ほうじょうき【方丈記】ハウヂヤウキ🔗🔉

ほうじょうき【方丈記】ハウヂヤウキ 鎌倉前期の随筆。一巻。鴨長明著。建暦二年(一二一二)成立。仏教的無常観を基調に、大風・飢饉(ききん)などの不安な世情や、日野山に閑居した方丈の庵(いおり)での閑寂な生活を、簡明な和漢混交文で描く。

ほうじょう‐きたい【胞状奇胎】ハウジヤウ‐🔗🔉

ほうじょう‐きたい【胞状奇胎】ハウジヤウ‐ 胎盤の一部となる絨毛膜(じゆうもうまく)の組織が、異常増殖して多数のブドウ状の嚢胞(のうほう)になり、胎児は死亡し流産となる妊娠異常。のちに絨毛癌(がん)を続発することがある。葡萄(ぶどう)状鬼胎。葡萄子(ぶどうご)。奇胎。

ほうじょう‐きょうごう【法条競合】ハフデウキヤウガフ🔗🔉

ほうじょう‐きょうごう【法条競合】ハフデウキヤウガフ 一つの犯罪行為が外観上数個の刑罰法規に当てはまるが、実質的にはその一つだけが適用されること。

ほうじょうくだいき【北条九代記】ホウデウクダイキ🔗🔉

ほうじょうくだいき【北条九代記】ホウデウクダイキ 鎌倉末期の歴史書。二巻。著者未詳。寿永二〜元弘二=正慶元年(一一八三〜一三三二)の鎌倉幕府関係の重要事件などを編年体で記したもの。江戸前期の雑史書。一二巻。浅井了意著という。延宝三年(一六七五)刊。北条執権九代の事跡を物語ふうに記したもの。

ほうじょうくだいめいかのいさおし【北条九代名家功】ホウデウクダイメイカのいさをし🔗🔉

ほうじょうくだいめいかのいさおし【北条九代名家功】ホウデウクダイメイカのいさをし 歌舞伎狂言。時代物。三巻。河竹黙阿弥作。明治一七年(一八八四)東京猿若座初演。北条家の滅亡を中心に脚色した活歴物。上の巻の「高時(たかとき)」だけが上演され、新歌舞伎十八番の一となっている。

ほうじょう‐さねとき【北条実時】ホウデウ‐🔗🔉

ほうじょう‐さねとき【北条実時】ホウデウ‐一二二四〜一二七六]鎌倉中期の武将。義時の孫。引付衆・評定衆を歴任して、執権を補佐。学問を好み、書籍を書写・収集して、晩年に建てた武蔵国金沢の称名寺に保管。蔵書は子孫によって一層拡充され、金沢文庫となった。金沢実時。称名寺殿。

ほうじょう‐じ【法成寺】ホフジヤウ‐🔗🔉

ほうじょう‐じ【法成寺】ホフジヤウ‐ 京都市上京区にあった寺。治安二年(一〇二二)に藤原道長が創建し、荒神口(こうじんぐち)より北、寺町より東にあったと推定される。広壮な規模を誇ったが、のち、火災にあい、南北朝初期に廃絶。通称、京極御堂(みどう)、御堂。

ほうじょう‐しげとき【北条重時】ホウデウ‐🔗🔉

ほうじょう‐しげとき【北条重時】ホウデウ‐一一九八〜一二六一]鎌倉前期の武将。義時の三男。六波羅探題・連署を歴任して、執権北条時頼を補佐。のち出家。彼の残した「北条重時家訓」は、後世の武家家訓のもととなった。極楽寺殿。

ほうじょう‐じたて【法×帖仕立て】ハフデフ‐🔗🔉

ほうじょう‐じたて【法×帖仕立て】ハフデフ‐ 法帖のような折り本の仕立て方。一枚ずつ表を内側にして縦二つに折ったものを重ね、裏面の端をはり合わせてつないだもの。

ほう‐じょうじゅ【法成就】ホフジヤウジユ🔗🔉

ほう‐じょうじゅ【法成就】ホフジヤウジユ 仏語。密教で、修法(しゆほう)による効験があらわれたこと。

ほうじょう‐そううん【北条早雲】ホウデウサウウン🔗🔉

ほうじょう‐そううん【北条早雲】ホウデウサウウン一四三二〜一五一九]室町後期の武将。後北条氏の祖。初め伊勢新九郎長氏と称し、出家して早雲庵宗瑞と号。駿河の今川氏のもとにいたが、のち、伊豆韮山(にらやま)に移り、次いで小田原に進出。伊豆・相模を治め、後北条氏五代の基礎を築いた。

ほうじょう‐たかとき【北条高時】ホウデウ‐🔗🔉

ほうじょう‐たかとき【北条高時】ホウデウ‐一三〇三〜一三三三]鎌倉幕府第一四代執権。在職一三一六〜二六。若年で執権となったため政治を乱し、正中の変・元弘の変を招いた。のち、新田義貞に鎌倉を攻められて一族とともに自刃した。

ほうじょう‐たみお【北条民雄】ホウデウたみを🔗🔉

ほうじょう‐たみお【北条民雄】ホウデウたみを一九一四〜一九三七]小説家。ソウルの生まれ。ハンセン病患者として入院した最初の夜の経験をもとにした小説「いのちの初夜」で知られる。

ほうじょう‐だんすい【北条団水】ホウデウ‐🔗🔉

ほうじょう‐だんすい【北条団水】ホウデウ‐一六六三〜一七一一]江戸前期の俳人・浮世草子作者。京都の人。井原西鶴の門人で、師の遺稿を刊行した。俳書「秋津しま」「俳諧団袋」、浮世草子「色道大鼓」「日本新永代蔵」など。

ほうじょう‐でん【放生田】ハウジヤウ‐🔗🔉

ほうじょう‐でん【放生田】ハウジヤウ‐ 平安時代、収穫を放生会の費用にあてるため諸国に置かれた不輸租田。

ほうじょう‐ときふさ【北条時房】ホウデウ‐🔗🔉

ほうじょう‐ときふさ【北条時房】ホウデウ‐一一七五〜一二四〇]鎌倉前期の武将。時政の三男。義時の弟。承久の乱に北条泰時とともに上洛し、鎮定に当たった。のち、鎌倉に帰り、泰時を助けて執権政治の基礎を固めた。

ほうじょう‐ときまさ【北条時政】ホウデウ‐🔗🔉

ほうじょう‐ときまさ【北条時政】ホウデウ‐一一三八〜一二一五]鎌倉幕府初代執権。在職一二〇三〜〇五。源頼朝の妻政子の父。通称、四郎。頼朝の挙兵を助け、鎌倉幕府創業に貢献。頼朝死後、二代将軍頼家を謀殺して実朝を擁立、初代執権として幕政の実権を握ったが、のち、実朝を除く計画が失敗して引退した。

ほうじょう‐ときむね【北条時宗】ホウデウ‐🔗🔉

ほうじょう‐ときむね【北条時宗】ホウデウ‐一二五一〜一二八四]鎌倉幕府第八代執権。在職一二六八〜八四。時頼の長男。通称、相模太郎。元寇に際して強硬策をとり、文永・弘安の役でこれを撃退。禅を信仰し、中国宋より無学祖元を招き、円覚寺を建立した。

ほうじょう‐ときゆき【北条時行】ホウデウ‐🔗🔉

ほうじょう‐ときゆき【北条時行】ホウデウ‐?〜一三五三]南北朝時代の武将。高時の子。鎌倉幕府の滅亡後、信濃にのがれ、建武政権に抗して挙兵。一時鎌倉を回復したが、足利尊氏に敗れた(中先代の乱)。のち、南朝に属して新田義興らに従い、再度鎌倉を占領したが、敗れて斬られた。

ほうじょう‐ときより【北条時頼】ホウデウ‐🔗🔉

ほうじょう‐ときより【北条時頼】ホウデウ‐一二二七〜一二六三]鎌倉幕府第五代執権。在職一二四六〜五六。泰時の孫。法名、道崇。豪族三浦一族を滅ぼし、執権北条氏の権力を確立。執権を辞してから出家。禅を信仰し、中国宋より蘭渓道隆を招き、建長寺を建立。仁政と諸国遍歴の伝説がある。最明寺殿。

ほうじょう‐ひでじ【北条秀司】ホウデウ‐🔗🔉

ほうじょう‐ひでじ【北条秀司】ホウデウ‐一九〇二〜 ]劇作家。大阪の生まれ。本名、飯野秀二。岡本綺堂に師事。新派・新国劇・歌舞伎などの商業演劇の脚本を数多く執筆。作「閣下」「王将」「霧の音」「建礼門院」など。

ほうじょう‐ぼう【宝城坊】ホウジヤウバウ🔗🔉

ほうじょう‐ぼう【宝城坊】ホウジヤウバウ 神奈川県伊勢原市日向(ひなた)にある高野山真言宗の寺。行基の開創と伝える日向山霊山寺の十二僧坊の一。日向薬師。

ほうじょう‐まさこ【北条政子】ホウデウ‐🔗🔉

ほうじょう‐まさこ【北条政子】ホウデウ‐一一五七〜一二二五]源頼朝の正室。源頼家・実朝の母。時政の長女。頼朝の死後尼となり、初め頼家、のち実朝を将軍としてその後見となった。実朝暗殺後は京都から九条頼経を四代将軍に迎え、執権政治を確立して尼将軍といわれた。平政子。

ほうじょう‐やすとき【北条泰時】ホウデウ‐🔗🔉

ほうじょう‐やすとき【北条泰時】ホウデウ‐一一八三〜一二四二]鎌倉幕府第三代執権。在職一二二四〜四二。義時の長男。通称、江馬太郎。承久の乱に上洛して鎮定に当たり、六波羅探題として乱後の処理にあたった。父の死後執権となり、評定衆の設置、御成敗式目の制定など、御家人中心の武家政治の確立に努めた。

ほうじょう‐よしとき【北条義時】ホウデウ‐🔗🔉

ほうじょう‐よしとき【北条義時】ホウデウ‐一一六三〜一二二四]鎌倉幕府第二代執権。在職一二〇五〜二四。時政の次男。通称、江馬小四郎。父時政の失脚後、執権となり、和田義盛を滅ぼして侍所別当を兼ねた。姉政子と協力して承久の乱を鎮圧し、幕府権力を安定させ、北条氏の執権政治を固めた。

ほうじょう‐りゅう【△北条流】ホウデウリウ🔗🔉

ほうじょう‐りゅう【北条流】ホウデウリウ 江戸初期、小幡景憲の門人北条氏長が創始した軍学の流派。

ほうじょ‐はん【×幇助犯】ハウジヨ‐🔗🔉

ほうじょ‐はん【×幇助犯】ハウジヨ‐ 従犯

ほう・じる【奉じる】🔗🔉

ほう・じる【奉じる】 [動ザ上一]「ほう(奉)ずる」(サ変)の上一段化。「命(めい)を―・じる」「職を―・じる」

ほう・じる【崩じる】🔗🔉

ほう・じる【崩じる】 [動ザ上一]「ほう(崩)ずる」(サ変)の上一段化。「皇帝が―・じる」

ほう・じる【報じる】🔗🔉

ほう・じる【報じる】 [動ザ上一]「ほう(報)ずる」(サ変)の上一段化。「テレビが異変を―・じる」「恨みを―・じる」

ほう・じる【×焙じる】ハウじる🔗🔉

ほう・じる【×焙じる】ハウじる [動ザ上一]「ほう(焙)ずる」(サ変)の上一段化。「茶を―・じる」

ほう‐じん【方陣】ハウヂン🔗🔉

ほう‐じん【方陣】ハウヂン 兵士を方形に並べた陣の配置。方形の陣形。「―を敷く」数字を縦横に同数だけ並べ、その縦・横・斜めのいずれの行の和も同じ数になるようにしたもの。縦横に並べる数字の個数によって三方陣・四方陣・八方陣などという。魔方陣。

ほう‐じん【邦人】ハウ‐🔗🔉

ほう‐じん【邦人】ハウ‐ 自国の人。日本人。また、外国にいる日本人。「―居留地」

ほう‐じん【×庖人】ハウ‐🔗🔉

ほう‐じん【×庖人】ハウ‐ 料理人。くりやびと。「只―の肉味を調するに異ならず」〈太平記・二〇〉

ほう‐じん【封人】🔗🔉

ほう‐じん【封人】 国境を守る役人。「―の家を見かけて舎(やどり)を求む」〈奥の細道〉

ほう‐じん【砲陣】ハウヂン🔗🔉

ほう‐じん【砲陣】ハウヂン 主として大砲を並べた陣地。

ほう‐じん【報身】🔗🔉

ほう‐じん【報身】 仏語。仏の三身の一。菩薩(ぼさつ)であったときに願を立て、修行を積んだ報いとして得た仏身。

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