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あしかが‐よしはる【足利義晴】🔗🔉

あしかが‐よしはる足利義晴】 室町幕府第12代将軍(在職1521〜1546)。義澄の子。畿内の政情が不安定なため、しばしば京都を逃れ、1546年(天文15)将軍職を子義輝に譲る。(1511〜1550) ⇒あしかが【足利】

あしかが‐よしひさ【足利義尚】🔗🔉

あしかが‐よしひさ足利義尚】 室町幕府第9代将軍(在職1473〜1489)。のち義よしひろと称す。義政の子。母は日野富子。近江の六角(佐々木)高頼討伐の陣中に没。(1465〜1489) ⇒あしかが【足利】

あしかが‐よしひで【足利義栄】🔗🔉

あしかが‐よしひで足利義栄】 室町幕府第14代将軍(在職1568〜1568)。義維よしつなの子。義澄の孫。阿波より摂津に入り、永禄11年(1568)2月将軍となったが、9月織田信長が義昭を奉じて入京して追われ、病没。(1538〜1568) ⇒あしかが【足利】

あしかが‐よしまさ【足利義政】🔗🔉

あしかが‐よしまさ足利義政】 室町幕府第8代将軍(在職1449〜1473)。義教の子。初め義成よししげ。弟義視を養子としたが、義尚が生まれるに及んで義視を疎んじ、応仁の乱の因をつくる。慈照寺(銀閣)を建て、芸術を愛好・保護し、いわゆる東山文化を生んだ。東山殿。(1436〜1490) ⇒あしかが【足利】

あしかが‐よしみ【足利義視】🔗🔉

あしかが‐よしみ足利義視】 室町中期の武将。義教の子。僧となり義尋と称す。還俗して兄義政の嗣。義尚出生後廃され、東軍の細川勝元に擁せられて応仁の乱となったが、のち西軍に走る。今出川殿。(1439〜1491) ⇒あしかが【足利】

広辞苑 ページ 316