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【昌平黌】🔗🔉

【昌平黌】 ショウヘイコウ〔国〕江戸幕府のたてた学問所。一六九一年、将軍徳川綱吉が上野忍岡シノブガオカから聖堂とともに林家の家塾を湯島に移し、幕府の学問所として、孔子の生地にちなんで名づけた。幕臣・藩士および、その子弟のみを入学させ朱子学を教授した。「昌平坂学問所」ともいった。

【昌言】🔗🔉

【昌言】 ショウゲン りっぱなことば。公明正大なことば。美言。「禹拝昌言=禹昌言ヲ拝ス」〔→書経書名。

【昌昌】🔗🔉

【昌昌】 ショウショウ 物事がさかんなさま。

【昌盛】🔗🔉

【昌盛】 ショウセイ さかんなこと。

【昌運】🔗🔉

【昌運】 ショウウン 物事がさかんになる回り合わせ。

【昌黎】🔗🔉

【昌黎】 ショウレイ 地名。今の河北省易県にあたる。中唐の詩人、韓愈カンユの号。▽昌黎の出身と自称したことから。

【昌黎先生集】🔗🔉

【昌黎先生集】 ショウレイセンセイシュウ〈書物〉四〇巻、外集一〇巻、遺文一巻。中唐の韓愈カンユ(768〜824)の詩文集。成立年代不詳。韓愈の死後まもなく、門人の李漢が編集したもの。韓愈はみずから昌黎ショウレイ(河北省)の出身と称し、韓昌黎とよばれたが、実は河陽(河南省孟モウ県)の出身。当時は修辞を重んじる四六駢儷文シロクベンレイブンが流行していたが、韓愈は古代の孔子・孟子の文章に範をとり、新しい文体を創造した。これを古文とよぶ。宋の欧陽脩オウヨウシュウらによって受け継がれ、1917年の文学革命にいたるまで、中国の文学界を支配した。「原道」「原性」「原人」「師説」「雑説」「仏骨を論ずる表」「柳子厚を祭る文」「十二郎を祭る文」などは、『唐宋トウソウ八家文』に収められて、日本でもひろく愛読された。

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