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【馬欄】🔗🔉

【馬欄】 バラン =馬蘭・馬闌。かこいをしたうまや。『馬閑バカン』

【馬鬣】🔗🔉

【馬鬣】 バリョウ 馬のたてがみ。「馬鬣斜傾毛瑟縮=馬鬣斜メニ傾キテ毛ハ瑟縮ス」〔→梅尭臣「馬鬣封バリョウホウ」の略。墳墓の形の名。馬のたてがみのあたりの肉の薄い部分の形に似た、土のもりかたをした墓。

【馬援】🔗🔉

【馬援】 バエン〈人名〉前14〜後49 後漢の将軍。茂陵(陝西センセイ省興平県)の人。字アザナは文淵ブンエン、諡オクリナは忠成。光武帝に仕えて蜀ショクを破り、伏波将軍となり、ついで交趾コウシを討った。のち、武陵(湖南省)の五渓蛮を討伐中、熱病で死んだ。馬伏波とも。

【馬后】🔗🔉

【馬后】 バコウ(後漢)〈人名〉後漢、明帝の皇后。馬援バエンの娘。徳が高く賢明であった。明帝の死後、みずから『明帝起居注』をつくった。

【馬后】🔗🔉

【馬后】 バコウ(明)〈人名〉明ミン代、太祖の皇后。賢后として名高く、太祖がわずかの罪で功臣を殺そうとするのをしばしばいさめた。

【馬謖】🔗🔉

【馬謖】 バショク〈人名〉190〜228 三国時代、蜀ショクの武将。宜城(湖北省)の人。字アザナは幼帝。魏ギとの祁山キザンでの戦いで、諸葛亮ショカツリョウの命令にそむいて大敗した。→「泣斬馬謖ナイテバショクヲキル」

【馬祖】🔗🔉

【馬祖】 バソ〈人名〉福建省の漁民の信仰した、航海の安全を守る神。媽祖とも。

【馬祖常】🔗🔉

【馬祖常】 バソジョウ〈人名〉1279〜1338 元ゲン末の文人。光州(山東省掖エキ県)の人。字アザナは伯庸、号は石田セキデン。『石田集』などがある。

【馬武】🔗🔉

【馬武】 バブ〈人名〉後漢代の将軍。字アザナは子張シチョウ。光武帝コウブテイに従って群賊を平らげ捕虜将軍に任じられた。

【馬融】🔗🔉

【馬融】 バユウ〈人名〉79〜166 後漢の学者。茂陵(陝西センセイ省興平県)の人。字アザナは季長。博学多才で経学に詳しく、多くの経書の注を書き、また『春秋三伝異同説』を著した。鼓・琴にも巧みであった。鄭玄ジョウゲンはその門弟。→「絳帳コウチョウ」

【馬可波羅】🔗🔉

【馬可波羅】 マルコポーロ〈人名〉1254〜1324 元ゲン代に中国に長く滞在したイタリア人。1275年、東方貿易商だった父について中央アジアを経て元に至った。世祖に厚遇され、滞在一七年間、内外の政務にたずさわり、各地を旅行した。帰国後かれが資料を提供して成った『東方見聞録』は、元代の中国・中央アジア・モンゴルを知る上に重要な資料であり、ここで日本もはじめてヨーロッパに紹介されている。馬哥孛羅とも書く。▽MarcoPoloの音訳。

漢字源 ページ 5002