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【史鑑】🔗🔉

【史鑑】 シカン 「史記」と「資治通鑑」のこと。歴史という鑑カガミ。人の手本や戒めとなる歴史。

【史記】🔗🔉

【史記】 シキ〈書物〉一三〇巻。漢の司馬遷シバセン(前145〜前86)の著した歴史書。前91年成立。上代から漢の武帝の前122年までの史実を記した正史。司馬遷は太史公(文書や天文を扱う官職)の仕事のかたわら、父の司馬談の遺志をついで、前104年ごろから本書の編集を始めたが、途中匈奴キョウドに捕らわれた李陵リリョウを弁護して武帝の激怒をかい、腐刑フケイ(宮刑)に処せられた。その恥辱にたえつつ、憤りをこめて書きあげたのが『史記』であるという。そこで『腐史』『蚕史』『発憤の書』などの異称が生まれた。内容は、本紀一二巻、表一〇巻、書八巻、世家セイカ三〇巻、列伝七〇巻から成る。本紀は、五帝より漢の武帝までの帝王の事績を記したものの、表は年表、書は文物制度史、世家は諸侯の列国志、列伝は、伯夷伝に始まり自序に終わる個人の伝記である。編年体の歴史書が事件の推移を中心に記述するのに対し、『史記』は各個人の伝記が中心になっている。このようなスタイルを紀伝体といい、『史記』は後世の歴史書の模範となった。本書が紀伝体で書かれたのは、歴史は個人の行動の集約であるという司馬遷の史観に基づくものである。また、文章も平明・流麗で、のちの文語文形成に与えた影響は大きく、生彩な筆致で人間の行動を描写したことは、『史記』を歴史書から文学に一歩近づける結果となった。二十四史の一つ。

【史通】🔗🔉

【史通】 シツウ〈書物〉二〇巻。唐の劉知幾リュウチキ(661〜721)の著。710年ごろ成立。中国で出た最初の歴史理論の書。内篇一〇巻(三六章)では、主として古来からの史書の体裁(『尚書』系統、『春秋』系統、『左氏伝』系統、『国語』系統、『史記』系統、『漢書』系統の六分類)について評論し、「編年体」(『左氏伝』系統)と「断代紀伝体」(『漢書』系統)の二つを、史書のあるべき姿としている。また、外篇一〇巻(一三章)では、歴代の史官の制度の変遷やその成果である史書の内容の長短について、著者独自の見解を展開している。唐・宋ソウ時代の人々には異端者の意見として敬遠されていたらしいが、明ミン末・清シン初以後に徐々にその真価が認められるようになり、清代の歴史理論家章学誠ショウガクセイの『文史通義』とともに、中国における独自の歴史理論書の双璧ソウヘキとされている。

漢字源 ページ 715