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広辞苑の検索結果 (50)

ほう‐じょう【方丈】ハウヂヤウ🔗🔉

ほう‐じょう方丈ハウヂヤウ ①1丈四方。畳たたみ四畳半のひろさの部屋。方丈記「広さはわづかに―」 ②(天竺の維摩居士の居室が方1丈であったという故事から)禅宗などの寺院建築で、長老・住持の居所。本堂・客殿を兼ねる。転じて、住持。住職。また、師への敬称としても用いる。「―さん」 ③三神山の一つ。神仙の住むという、東方絶海の中央にある島。方壺。懐風藻「此れの地ところは即ち―」

ほうじょう【北条】‥デウ(地名)🔗🔉

ほうじょう北条‥デウ 愛媛県松山市の地名。もと河野水軍の根拠地。

ほうじょう【北条】‥デウ(姓氏)🔗🔉

ほうじょう北条‥デウ 姓氏の一つ。本姓は平氏。平貞盛の後裔の時方が伊豆介となり、子孫が伊豆北条に住んで苗字とした。時政・義時以来、鎌倉幕府最高の実力者となり、歴代執権となる。また、後北条ごほうじょう氏はもと伊勢姓だったが、北条氏をついで関東の主となるというねらいから氏綱の代に北条姓を称した。 北条(略系図) ⇒ほうじょう‐あきとき【北条顕時】 ⇒ほうじょう‐うじつな【北条氏綱】 ⇒ほうじょう‐うじなお【北条氏直】 ⇒ほうじょう‐うじなが【北条氏長】 ⇒ほうじょう‐うじまさ【北条氏政】 ⇒ほうじょう‐うじやす【北条氏康】 ⇒ほうじょう‐かてい【北条霞亭】 ⇒ほうじょう‐さねとき【北条実時】 ⇒ほうじょう‐しげとき【北条重時】 ⇒ほうじょう‐そううん【北条早雲】 ⇒ほうじょう‐たかとき【北条高時】 ⇒ほうじょう‐たみお【北条民雄】 ⇒ほうじょう‐だんすい【北条団水】 ⇒ほうじょう‐つねとき【北条経時】 ⇒ほうじょう‐ときまさ【北条時政】 ⇒ほうじょう‐ときむね【北条時宗】 ⇒ほうじょう‐ときゆき【北条時行】 ⇒ほうじょう‐ときより【北条時頼】 ⇒ほうじょう‐ひでじ【北条秀司】 ⇒ほうじょう‐まさこ【北条政子】 ⇒ほうじょう‐まさむら【北条政村】 ⇒ほうじょう‐やすとき【北条泰時】 ⇒ほうじょう‐よしとき【北条義時】 ⇒ほうじょう‐りゅう【北条流】

ほう‐じょう【芳情】ハウジヤウ🔗🔉

ほう‐じょう芳情ハウジヤウ 他人の親切な心の尊敬語。芳志。ほうせい。

ほう‐じょう【奉上】‥ジヤウ🔗🔉

ほう‐じょう奉上‥ジヤウ 呈上すること。書状の名あてに添える語。

ほう‐じょう【放生】ハウジヤウ🔗🔉

ほう‐じょう放生ハウジヤウ 捕らえた生物をはなちにがすこと。仏教で慈悲の行いとする。今昔物語集3「長命なる者は先生せんじょうに―を行ぜし者ぞ」 ⇒ほうじょう‐え【放生会】 ⇒ほうじょう‐でん【放生田】

ほう‐じょう【法条】ハフデウ🔗🔉

ほう‐じょう法条ハフデウ 〔法〕 ①のり。規則。 ②法令の条項。法律の条文。 ⇒ほうじょう‐きょうごう【法条競合】

ほう‐じょう【法帖】ハフデフ🔗🔉

ほう‐じょう法帖ハフデフ 手本・鑑賞用に先人の筆跡を紙に写し、石に刻み、これを石摺いしずりにした折本おりほん。宋の淳化閣帖、明の停雲館帖、清の余清斎帖などが有名。のち碑文の拓本を折本にしたものをもいう。墨帖。墨本。 ⇒ほうじょう‐じたて【法帖仕立】

ほう‐じょう【法城】ホフジヤウ🔗🔉

ほう‐じょう法城ホフジヤウ 仏法が堅固で信頼すべく、また諸悪を防ぐことを、城にたとえていう語。

ほう‐じょう【法場】ホフヂヤウ🔗🔉

ほう‐じょう法場ホフヂヤウ 仏法を修行する場所。仏寺。のりのにわ。

ほう‐じょう【豊壌】‥ジヤウ🔗🔉

ほう‐じょう豊壌‥ジヤウ 肥えた土地。

ほう‐じょう【豊穣】‥ジヤウ🔗🔉

ほう‐じょう豊穣‥ジヤウ 穀物が豊かにみのること。豊作。「五穀―」

ほう‐じょう【豊饒】‥ゼウ🔗🔉

ほう‐じょう豊饒‥ゼウ (ホウニョウ・ブニョウとも)豊かに多いこと。また、土地が肥えて作物のよくみのること。保元物語「風雨時に従つて、国家―なり」。「―な土地」「地味―」

ほう‐じょう【鳳城】‥ジヤウ🔗🔉

ほう‐じょう鳳城‥ジヤウ ①(漢の宮城の門に銅鳳を飾ったからいう)宮城。皇居。 ②都。都城。帝京。

ほう‐じょう【褒状】‥ジヤウ🔗🔉

ほう‐じょう褒状‥ジヤウ ほめことばをしるした文書。賞状。「―を呈する」

ほうじょう‐あきとき【北条顕時】‥デウ‥🔗🔉

ほうじょう‐あきとき北条顕時‥デウ‥ 鎌倉幕府の評定衆。父の実時の志を継いで書籍を蒐集し、金沢文庫に納めた。金沢かねざわ顕時とも。(1248〜1301) ⇒ほうじょう【北条】

ほうじょう‐いん【宝生院】‥ジヤウヰン🔗🔉

ほうじょう‐いん宝生院‥ジヤウヰン 真福寺の別称。

ほうじょう‐うじつな【北条氏綱】‥デウウヂ‥🔗🔉

ほうじょう‐うじつな北条氏綱‥デウウヂ‥ 戦国時代の武将。早雲の長子。小田原城主。扇谷おうぎがやつ上杉氏を攻めて武蔵・両総に勢を張った。箱根早雲寺に葬る。(1487〜1541) ⇒ほうじょう【北条】

ほうじょう‐うじなお【北条氏直】‥デウウヂナホ🔗🔉

ほうじょう‐うじなお北条氏直‥デウウヂナホ 安土桃山時代の武将。氏政の子。豊臣秀吉に小田原城を包囲されて降伏。徳川家康の女婿であったことから助命、高野山に追放された。(1562〜1591) ⇒ほうじょう【北条】

ほうじょう‐うじなが【北条氏長】‥デウウヂ‥🔗🔉

ほうじょう‐うじなが北条氏長‥デウウヂ‥ 江戸前期の旗本・軍学者。北条流の祖。幕府の大目付。安房守。後北条氏の出身。軍学を小幡景憲に学ぶ。将軍家光の諮問を受け、オランダ流攻城法や諸大名・旗本の軍団編成について調査・上申。江戸地図も作成。(1609〜1670) ⇒ほうじょう【北条】

ほうじょう‐うじまさ【北条氏政】‥デウウヂ‥🔗🔉

ほうじょう‐うじまさ北条氏政‥デウウヂ‥ 安土桃山時代の武将。氏康の長子。下総・駿河・常陸を攻略。豊臣秀吉に小田原城を攻められ、自刃。(1538〜1590) ⇒ほうじょう【北条】

ほうじょう‐うじやす【北条氏康】‥デウウヂ‥🔗🔉

ほうじょう‐うじやす北条氏康‥デウウヂ‥ 戦国時代の武将。氏綱の長子。1546年武蔵河越で山内・扇谷両上杉氏を破り、のち上杉謙信と戦って撃退、民政にも力を注ぎ北条氏の全盛期を築いた。(1515〜1571) ⇒ほうじょう【北条】

ほうじょう‐え【放生会】ハウジヤウヱ🔗🔉

ほうじょう‐え放生会ハウジヤウヱ 仏教の不殺生の思想に基づいて、捕らえられた生類を山野や池沼に放ちやる儀式。神社・仏寺で陰暦8月15日に行われる。〈[季]秋〉。→石清水いわしみず放生会⇒ほう‐じょう【放生】

ほうじょう‐かてい【北条霞亭】‥デウ‥🔗🔉

ほうじょう‐かてい北条霞亭‥デウ‥ 江戸後期の漢詩人。志摩の人。京都で皆川淇園に、江戸で亀田鵬斎に学ぶ。伊勢神宮内宮の林崎文庫長や、備後神辺かんなべの菅茶山の廉塾の都講を勤めた後、福山藩藩儒。著「霞亭摘藁」など。(1780〜1823) ⇒ほうじょう【北条】

ほうじょうき【方丈記】ハウヂヤウ‥🔗🔉

ほうじょうき方丈記ハウヂヤウ‥ 鎌倉初期の随筆。鴨長明著。1巻。1212年(建暦2)成る。仏教的無常観を基調に種々実例を挙げて人生の無常を述べ、ついに隠遁して日野山の方丈の庵に閑居するさまを記す。簡潔・清新な和漢混淆こんこう文の先駆。略本がある。 →文献資料[方丈記]

ほうじょう‐きたい【胞状奇胎・胞状鬼胎】ハウジヤウ‥🔗🔉

ほうじょう‐きたい胞状奇胎・胞状鬼胎ハウジヤウ‥ 〔医〕(→)鬼胎2に同じ。

ほうじょう‐きょうごう【法条競合】ハフデウキヤウガフ🔗🔉

ほうじょう‐きょうごう法条競合ハフデウキヤウガフ 一個の行為が数個の刑罰法規にあてはまるように見えるが、法規相互の関係から一罪のみが適用されること。傷害罪と暴行罪、横領罪と背任罪の類。 ⇒ほう‐じょう【法条】

ほうじょうくだいき【北条九代記】‥デウ‥🔗🔉

ほうじょうくだいき北条九代記‥デウ‥ ①1183〜1332年(寿永2〜正慶1)の鎌倉幕府関係の重要事件を漢文で記した史書。「鎌倉年代記」の異本。上下2巻。著者未詳。 ②戦記物語。12巻12冊。1675年(延宝3)刊。伝浅井了意作。北条時政から高時に至る鎌倉時代の歴史を物語風に述べた書。

ほうじょうくだいめいかのいさおし【北条九代名家功】‥デウ‥イサヲシ🔗🔉

ほうじょうくだいめいかのいさおし北条九代名家功‥デウ‥イサヲシ 歌舞伎脚本。河竹黙阿弥作。→高時

ほうじょう‐さねとき【北条実時】‥デウ‥🔗🔉

ほうじょう‐さねとき北条実時‥デウ‥ 鎌倉中期の武将。金沢文庫の創立者。義時の孫。法名、称名寺。京都から下向した清原教隆に学び、篤学と典籍の蒐集とで著名。金沢かねざわ実時とも。(1224〜1276) ⇒ほうじょう【北条】

ほうじょう‐じ【法成寺】ホフジヤウ‥🔗🔉

ほうじょう‐じ法成寺ホフジヤウ‥ 京都鴨川の西辺、荒神口の北にあった寺。1020年(寛仁4)藤原道長の創建。藤原時代を代表する大寺で、その伽藍は壮観をきわめたが、鎌倉末期には廃絶。御堂みどう

ほうじょう‐しげとき【北条重時】‥デウ‥🔗🔉

ほうじょう‐しげとき北条重時‥デウ‥ 鎌倉時代の武将。義時の子。六波羅探題・連署などを歴任。「重時家訓」は鎌倉武士の思想を伝えるものとして著名。(1198〜1261) ⇒ほうじょう【北条】

ほうじょう‐じたて【法帖仕立】ハフデフ‥🔗🔉

ほうじょう‐じたて法帖仕立ハフデフ‥ 法帖のような折本の仕立て方。→折本 ⇒ほう‐じょう【法帖】

ほう‐じょうじゅ【法成就】ホフジヤウ‥🔗🔉

ほう‐じょうじゅ法成就ホフジヤウ‥ 密教の修法により、効験のあること。徒然草「―の池にこそとはやすは」

ほうじょう‐そううん【北条早雲】‥デウサウ‥🔗🔉

ほうじょう‐そううん北条早雲‥デウサウ‥ 戦国時代の武将。伊勢新九郎盛時と称し、剃髪して早雲庵宗瑞と号。はじめ今川氏に拠って駿河におり、堀越公方足利政知の子、茶々丸を滅ぼして伊豆を併せ、のち相模を奪って小田原城に入り、後北条氏5代の基を開いた。(1432〜1519) ⇒ほうじょう【北条】

ほうじょう‐たかとき【北条高時】‥デウ‥🔗🔉

ほうじょう‐たかとき北条高時‥デウ‥ 鎌倉幕府の執権。貞時の子。元弘の乱で、新田義貞らに攻められて鎌倉で自刃。(1303〜1333) ⇒ほうじょう【北条】

ほうじょう‐たみお【北条民雄】‥デウ‥ヲ🔗🔉

ほうじょう‐たみお北条民雄‥デウ‥ヲ 小説家。ソウル生れ。高等小学校卒。ハンセン病患者として死と背中合せの生活の中で書いた「いのちの初夜」が代表作。(1914〜1937) ⇒ほうじょう【北条】

ほうじょう‐だんすい【北条団水】‥デウ‥🔗🔉

ほうじょう‐だんすい北条団水‥デウ‥ 江戸前期の俳人・浮世草子作者。京都の人。井原西鶴の門人。西鶴の遺稿を編纂・刊行。著「団袋」などのほかに、浮世草子「昼夜用心記」「日本新永代蔵」など。(1663〜1711) ⇒ほうじょう【北条】

ほうじょう‐つねとき【北条経時】‥デウ‥🔗🔉

ほうじょう‐つねとき北条経時‥デウ‥ 鎌倉中期の執権。執権泰時の死後、1242年(仁治3)嫡孫としてあとをつぐ。将軍九条頼経を廃して頼嗣に代える。(1224〜1246) ⇒ほうじょう【北条】

ほうじょう‐でん【放生田】ハウジヤウ‥🔗🔉

ほうじょう‐でん放生田ハウジヤウ‥ 古代、放生の費用にあてるため諸国に置いた不輸租田ふゆそでん⇒ほう‐じょう【放生】

ほうじょう‐ときまさ【北条時政】‥デウ‥🔗🔉

ほうじょう‐ときまさ北条時政‥デウ‥ 鎌倉幕府の執権。通称、四郎。源頼朝の妻政子の父。頼朝の挙兵以来これを助ける。頼朝の没後、初代執権となり、頼家を廃して政子と共に幕府の実権を握ったが、のち出家。(1138〜1215) ⇒ほうじょう【北条】

ほうじょう‐ときむね【北条時宗】‥デウ‥🔗🔉

ほうじょう‐ときむね北条時宗‥デウ‥ 鎌倉幕府の執権。通称、相模太郎。時頼の子。1274年(文永11)元寇を撃退し、北九州沿岸に防塁を築き、81年(弘安4)の再度の元寇もよく防御。円覚寺を建て、宋より無学祖元を招いて開山とする。(1251〜1284) ⇒ほうじょう【北条】

ほうじょう‐ときゆき【北条時行】‥デウ‥🔗🔉

ほうじょう‐ときゆき北条時行‥デウ‥ 鎌倉末・南北朝時代の武将。高時の子。鎌倉幕府滅亡後、信濃の諏訪頼重のもとに潜んでいたが、1335年(建武2)西園寺公宗とはかって建武政権に叛し、鎌倉を攻め陥したが、足利尊氏の反撃に敗れ(中先代なかせんだいの乱)、のち捕らわれて斬。( 〜1353) ⇒ほうじょう【北条】

ほうじょう‐ときより【北条時頼】‥デウ‥🔗🔉

ほうじょう‐ときより北条時頼‥デウ‥ 鎌倉幕府の執権。時氏の次子。母は松下禅尼。北条氏の独裁制(得宗専制)は彼の時代にほぼ確立。出家して道崇、世に最明寺殿という。出家後、ひそかに諸国を遍歴して治政民情を視察したと伝える。(1227〜1263)→鉢木はちのき⇒ほうじょう【北条】

ほうじょう‐ひでじ【北条秀司】‥デウ‥🔗🔉

ほうじょう‐ひでじ北条秀司‥デウ‥ 劇作家。本名、飯野秀二。大阪市生れ。関西大卒。岡本綺堂に師事、新国劇などで活躍。日本演劇協会会長。作「王将」「井伊大老」など。(1902〜1996) ⇒ほうじょう【北条】

ほうじょう‐まさこ【北条政子】‥デウ‥🔗🔉

ほうじょう‐まさこ北条政子‥デウ‥ 源頼朝の妻。頼家・実朝の母。時政の長女。頼朝の死後は剃髪し、時政・義時父子とともに2子の後見となり、実朝の横死後は京都から後継者として九条頼経を迎えて、自ら政務を行い、尼将軍と称された。(1157〜1225) ⇒ほうじょう【北条】

ほうじょう‐まさむら【北条政村】‥デウ‥🔗🔉

ほうじょう‐まさむら北条政村‥デウ‥ 鎌倉幕府の執権。義時の子。評定衆・連署などを経て1264年(文永1)執権。68年時宗にその地位を譲って連署となり、時宗を補佐した。(1205〜1273) ⇒ほうじょう【北条】

ほうじょう‐やすとき【北条泰時】‥デウ‥🔗🔉

ほうじょう‐やすとき北条泰時‥デウ‥ 鎌倉幕府の執権。義時の長子。承久の乱が起こると叔父時房とともに京都に攻め上り、鎮撫の後、六波羅探題。父の没後、執権となり、連署・評定衆の設置、御成敗式目の制定など執権政治の確立に努めた。(1183〜1242) ⇒ほうじょう【北条】

ほうじょう‐よしとき【北条義時】‥デウ‥🔗🔉

ほうじょう‐よしとき北条義時‥デウ‥ 鎌倉幕府の執権。時政の次子。北条氏の政敵和田氏を倒し、実朝が暗殺された後は九条頼経を将軍に迎えて、政子と共に幕政を専断。承久の乱に勝って武家政権の優位を確立すると同時に執権政治の基礎を築いた。(1163〜1224) ⇒ほうじょう【北条】

ほうじょう‐りゅう【北条流】‥デウリウ🔗🔉

ほうじょう‐りゅう北条流‥デウリウ 寛永(1624〜1644)頃、北条氏長が甲州流の小幡景憲に学んで創始した軍学の一派。 ⇒ほうじょう【北条】

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ほう-じょう【方丈】🔗🔉

ほう-じょう ハウヂヤウ [0] 【方丈】 (1)一丈四方,四畳半ほどの広さ。また,その広さの部屋や建物。「広さはわづかに―/方丈記」 (2)〔インドの維摩居士の居室が一丈四方であったという故事から〕 寺の住職の居室。また,住職の俗称。 (3)中国の神仙思想で,神仙が住むとする想像上の山。

ほう-じょう【芳情】🔗🔉

ほう-じょう ハウジヤウ [0] 【芳情】 他人の親切な心遣いや気持ちを敬っていう語。芳志。

ほう-じょう【奉上】🔗🔉

ほう-じょう ―ジヤウ [0] 【奉上】 (1)貴い人や目上の人などに差し上げること。また,書状の名あてに添える語。 (2)主君のために尽くすこと。

ほう-じょう【放生】🔗🔉

ほう-じょう ハウジヤウ [0] 【放生】 捕らえた生き物を逃がしてやること。仏教の善行の一。「長命なる者は先生(センジヨウ)に―を行ぜし者ぞ/今昔 3」

ほうじょう-え【放生会】🔗🔉

ほうじょう-え ハウジヤウ [3] 【放生会】 供養のため,捕らえられた生き物を放してやる儀式。陰暦八月一五日(現在では石清水祭の名で九月一五日)に石清水八幡宮の神事に行われるものが有名。[季]秋。《―べに紐かけて雀籠/村上鬼城》

ほうじょう-でん【放生田】🔗🔉

ほうじょう-でん ハウジヤウ― [3] 【放生田】 奈良・平安時代,放生の費用にあてるため諸国に置かれた雑色田の一。不輸租田(フユソデン)。

ほう-じょう【法杖】🔗🔉

ほう-じょう ホフヂヤウ [0] 【法杖】 座禅のとき,眠気を催した者などを戒めるのに用いる杖。禅杖。

ほう-じょう【法条】🔗🔉

ほう-じょう ハフデウ [0] 【法条】 (1)のり。おきて。法規。 (2)法令の条項。法律の条文。

ほうじょう-きょうごう【法条競合】🔗🔉

ほうじょう-きょうごう ハフデウキヤウガフ [5] 【法条競合】 一つの行為が二つ以上の刑罰法規に該当する場合で,その一つだけが適用されること。

ほう-じょう【法帖】🔗🔉

ほう-じょう ハフデフ [0] 【法帖】 習字の手本や鑑賞用に,先人の筆跡を模写したり臨写したもの。また,石や木に刻んで印刷した折り本。法書。墨帖。墨本。

ほうじょう-じたて【法帖仕立て】🔗🔉

ほうじょう-じたて ハフデフ― [5] 【法帖仕立て】 冊子本の装丁の一種。各葉の表を内側にして二つ折りにしたものを重ね,折り目の反対側の端の裏面を次の紙葉の裏面に貼りつないだもの。

ほう-じょう【法城】🔗🔉

ほう-じょう ホフジヤウ [0] 【法城】 (1)〔仏〕 仏法が諸悪から守ってくれることを城にたとえていう語。 (2)宗団。寺院。

ほう-じょう【法場】🔗🔉

ほう-じょう ホフヂヤウ [0] 【法場】 仏法を修行する場所。仏寺。

ほう-じょう【豊壌】🔗🔉

ほう-じょう ―ジヤウ [0] 【豊壌】 肥えた土地。沃土。沃地。

ほう-じょう【豊穣】🔗🔉

ほう-じょう ―ジヤウ [0] 【豊穣】 (名・形動)[文]ナリ 穀物が豊かにみのる・こと(さま)。「―の秋」「五穀―」 [派生] ――さ(名)

ほう-じょう【豊饒】🔗🔉

ほう-じょう ―ゼウ [0] 【豊饒】 (名・形動)[文]ナリ 地味が肥えていて作物がよくみのる・こと(さま)。ほうにょう。「―な土地」 [派生] ――さ(名)

ほう-じょう【鳳城】🔗🔉

ほう-じょう ―ジヤウ [0] 【鳳城】 〔中国漢代の宮城の門の上に銅の鳳凰を飾ったことから〕 (1)宮城。御所。 (2)都。都城。京師。

ほう-じょう【褒状】🔗🔉

ほう-じょう ―ジヤウ [0] 【褒状】 ほめる言葉をしるした書き付け。賞状。

ほうじょう【北条】🔗🔉

ほうじょう ホウデウ 【北条】 愛媛県北部,高縄(タカナワ)半島北西部にある市。水田農業やタマネギなどの栽培が盛ん。繊維工業のほか,鹿峰(カノミネ)瓦を特産。

ほうじょう【北条】🔗🔉

ほうじょう ホウデウ 【北条】 姓氏の一。 (1)桓武平氏。平貞盛の子孫時家が伊豆北条に住んで北条氏を称したのに始まる。鎌倉幕府創業に功があり,のち執権職として幕府の実権を掌握。 (2)小田原を本拠とした戦国大名。伊勢長氏(北条早雲)を祖とする。後北条氏。 →北条(1)[表]

ほうじょう-うじつな【北条氏綱】🔗🔉

ほうじょう-うじつな ホウデウウヂツナ 【北条氏綱】 (1486-1541) 戦国時代の武将。早雲の子。上杉朝興・里見義弘・足利義明らを破り,後北条氏の南関東における支配権を確立。

ほうじょう-うじなお【北条氏直】🔗🔉

ほうじょう-うじなお ホウデウウヂナホ 【北条氏直】 (1562-1591) 戦国時代の武将。氏政の子。母は武田信玄の娘。後北条氏五代当主。豊臣秀吉の小田原攻略の時,籠城数か月後に開城,高野山に籠居した。

ほうじょう-うじなが【北条氏長】🔗🔉

ほうじょう-うじなが ホウデウウヂナガ 【北条氏長】 (1609-1670) 江戸初期の旗本。北条流兵学の祖。小田原の後北条氏の裔。小姓組から累進し大目付。蘭人に兵学を学び軍制の体系化に尽力。著「兵法雄鑑」「士鑑用法」など。

ほうじょう-うじまさ【北条氏政】🔗🔉

ほうじょう-うじまさ ホウデウウヂマサ 【北条氏政】 (1538-1590) 戦国時代の武将。氏康の子。武田・佐竹氏らと戦い,東海地方にも勢力を伸ばした。豊臣秀吉の小田原攻略に際し,籠城の末降伏,弟氏照と共に自刃した。

ほうじょう-うじやす【北条氏康】🔗🔉

ほうじょう-うじやす ホウデウウヂヤス 【北条氏康】 (1515-1571) 戦国時代の武将。氏綱の子。1551年,扇谷(オウギガヤツ)・山内両上杉氏を河越に破り,61年上杉謙信を敗走させ,伊豆・相模・武蔵・上野を領有,後北条氏の全盛期を築いた。また,足利学校の復興を援助。

ほうじょう-かてい【北条霞亭】🔗🔉

ほうじょう-かてい ホウデウ― 【北条霞亭】 (1780-1823) 江戸後期の漢詩人。志摩の人。名は襄,字(アザナ)は子譲・景陽,霞亭は号。京や江戸で学んだ後,菅茶山に迎えられて廉塾の塾頭となり,ついで福山藩儒となった。著「霞亭摘藁」「霞亭渉筆」ほか。

ほうじょう-さねとき【北条実時】🔗🔉

ほうじょう-さねとき ホウデウ― 【北条実時】 (1224-1276) 鎌倉中期の武将。義時の孫。称名寺殿とも。引付衆・評定衆などを歴任。武蔵六浦荘金沢郷に住んで称名寺を建立,多くの書物を収集・書写して金沢文庫の基礎を築いた。金沢実時。

ほうじょう-しげとき【北条重時】🔗🔉

ほうじょう-しげとき ホウデウ― 【北条重時】 (1198-1261) 鎌倉前期の武将。義時の子。極楽寺殿とも。兄泰時を助けて六波羅探題・連署を務めた。「重時家訓」は武家家訓の初源。極楽寺を創設。

ほうじょう-そううん【北条早雲】🔗🔉

ほうじょう-そううん ホウデウサウウン 【北条早雲】 (1432-1519) 室町後期の武将。後北条氏の祖。初め伊勢新九郎長氏と称し,出家して早雲庵宗瑞と号す。駿河の今川氏を頼って次第に頭角を現した。のち堀越公方(足利茶々丸)を倒して伊豆韮山(ニラヤマ)に進出,小田原を本拠として南関東制覇の基礎を築いた。家訓に「早雲寺殿廿一箇条」がある。

ほうじょう-たかとき【北条高時】🔗🔉

ほうじょう-たかとき ホウデウ― 【北条高時】 (1303-1333) 鎌倉幕府第一四代執権。貞時の子。法名,崇鑑。一四歳で執権となったが,内管領長崎高資らに実権を握られ遊宴にふけったため幕政は混乱。元弘の乱で後醍醐天皇を隠岐に配流し光厳天皇を擁立したが,新田義貞に鎌倉を攻められ東勝寺で自刃した。

ほうじょう-たみお【北条民雄】🔗🔉

ほうじょう-たみお ホウデウタミヲ 【北条民雄】 (1914-1937) 小説家。ソウル生まれ。川端康成に師事。ハンセン病患者という自己の極限状況を凝視し,柔軟な感性でとらえた作品で知られる。作「いのちの初夜」など。

ほうじょう-だんすい【北条団水】🔗🔉

ほうじょう-だんすい ホウデウ― 【北条団水】 (1663-1711) 江戸前・中期の俳人・浮世草子作者。名,義延。別号,白眼居士・滑稽堂など。西鶴庵二代目となり西鶴の遺稿を刊行。自ら浮世草子を著す一方で,俳諧・雑俳の点者としても活躍した。編著「団袋」「日本新永代蔵」など。

ほうじょう-ときふさ【北条時房】🔗🔉

ほうじょう-ときふさ ホウデウ― 【北条時房】 (1175-1240) 鎌倉前期の武将。時政の子,義時の弟。承久の乱に甥の北条泰時とともに幕府軍を率いて上洛。泰時が執権になると連署としてこれを補佐した。

ほうじょう-ときまさ【北条時政】🔗🔉

ほうじょう-ときまさ ホウデウ― 【北条時政】 (1138-1215) 鎌倉幕府初代執権。伊豆の人。源頼朝の妻政子の父。通称,四郎。鎌倉幕府創業の功臣。頼朝の死後,二代将軍頼家を謀殺,実朝を擁立して北条氏の幕政の実権掌握への道を開いた。後妻牧の方の陰謀に与し,政子・義時らに阻まれ失敗,伊豆に退隠。

ほうじょう-ときむね【北条時宗】🔗🔉

ほうじょう-ときむね ホウデウ― 【北条時宗】 (1251-1284) 鎌倉幕府八代執権。時頼の子。通称,相模太郎。文永・弘安の両度の元寇に際し,強硬に幕政を指導して,これを退けた。また,禅宗に帰依して宋から無学祖元を招き,円覚寺の開山とした。

ほうじょう-ときゆき【北条時行】🔗🔉

ほうじょう-ときゆき ホウデウ― 【北条時行】 (?-1353) 南北朝時代の武将。高時の子。鎌倉幕府滅亡後,幕府再興を図り挙兵したが足利尊氏のため敗走(中先代の乱)。その後も南朝方に従って何度か挙兵したが,鎌倉で捕らえられ,竜口で斬られた。中先代。

ほうじょう-ときより【北条時頼】🔗🔉

ほうじょう-ときより ホウデウ― 【北条時頼】 (1227-1263) 鎌倉幕府五代執権。泰時の孫,母は松下禅尼。最明寺殿とも。1247年,三浦泰村一族を滅ぼし北条氏の独裁体制を確立,引付衆を設置して訴訟制度を整備。また,民政に意を尽くしたことから,諸国民情視察遍歴の伝説が生じた。 →鉢の木

ほうじょう-まさこ【北条政子】🔗🔉

ほうじょう-まさこ ホウデウ― 【北条政子】 (1157-1225) 源頼朝の妻。北条時政の女(ムスメ)。頼家・実朝の母。頼朝の死後は父時政・弟義時とともに幕政に参与。実朝の死後,京都から九条頼経を四代将軍に迎え,自ら後見として幕政を裁断したので尼将軍と称された。

ほうじょう-まさむら【北条政村】🔗🔉

ほうじょう-まさむら ホウデウ― 【北条政村】 (1205-1273) 鎌倉幕府七代執権。義時の子。1256年連署,64年執権,68年時宗に執権を譲って再び連署となった。

ほうじょう-やすとき【北条泰時】🔗🔉

ほうじょう-やすとき ホウデウ― 【北条泰時】 (1183-1242) 鎌倉幕府三代執権。義時の子。江馬太郎と称す。常楽寺殿とも。承久の乱に幕府軍を率いて上洛,乱後,初代六波羅探題。1225年評定衆を設置。32年に制定した「御成敗式目」は以後の武家法の規範となった。

ほうじょう-よしとき【北条義時】🔗🔉

ほうじょう-よしとき ホウデウ― 【北条義時】 (1163-1224) 鎌倉幕府二代執権。時政の子。江馬小四郎と称す。1205年執権,13年和田義盛を滅ぼして侍所の別当を兼ねた。実朝横死後は姉政子とともに幕政の実権を握り,承久の乱に勝利して幕府政権を確実なものとした。

ほうじょう-りゅう【北条流】🔗🔉

ほうじょう-りゅう ホウデウリウ 【北条流】 軍学の一派。祖は北条安房守氏長で,甲州流軍学小幡勘兵衛の筆頭門人。寛永年間(1624-1644)の創始。

ほうじょう-いん【宝生院】🔗🔉

ほうじょう-いん ホウジヤウン 【宝生院】 大須観音の真福寺の院号。

ほうじょうき【方丈記】🔗🔉

ほうじょうき ハウヂヤウキ 【方丈記】 随筆。一巻。1212年成立。鴨長明著。冒頭で人と栖(スミカ)の無常をうたい上げ,五つの天災の体験を述べて裏付けたあと,世俗を捨てた閑居生活の楽しさを語り,さらに仏徒としての自己を顧みて結ぶ。流麗な和漢混交文で綴られる。

ほうじょう-きたい【胞状奇胎】🔗🔉

ほうじょう-きたい ハウジヤウ― [5] 【胞状奇胎】 妊娠初期に胎盤を形成する絨毛膜の絨毛が病的に増殖し,葡萄(ブドウ)状の嚢胞(ノウホウ)になって子宮腔を満たすもの。大出血を伴って流産したり,癌が発生する確率が高い。俗に「ぶどう子」と呼ばれる。葡萄状鬼胎。

ほうじょうくだいき【北条九代記】🔗🔉

ほうじょうくだいき ホウデウ― 【北条九代記】 (1)歴史書。二巻。作者未詳。1333年頃の成立。1183年から1332年までの鎌倉幕府関係の歴史を年代記風に漢文で記す。 (2)戦記物語。一二巻。浅井了意著という。1675年刊。北条時政から貞時に至る,執権北条氏九代の歴史を通俗的に記したもの。鎌倉北条九代記。鎌倉九代記。

ほうじょう-じ【法成寺】🔗🔉

ほうじょう-じ ホフジヤウ― 【法成寺】 京都市左京区の鴨川の西岸にあった寺。1022年藤原道長の建立。顕・密・浄・禅諸宗の混在した寺で,道長は無量寿院に住した。たびたび火災にあい,南北朝時代に廃絶。通称,京極御堂(ミドウ)・御堂。

ほう-じょうじゅ【法成就】🔗🔉

ほう-じょうじゅ ホフジヤウジユ [3] 【法成就】 密教の祈祷修法(キトウスホウ)によって,その効果があらわれたこと。

ほうじょうづ【放生津】🔗🔉

ほうじょうづ ハウジヤウヅ 【放生津】 富山県新湊市の古名。中世,日本海側の海陸交通の要衝として栄えた。

ほうじょう【豊饒な】(和英)🔗🔉

ほうじょう【豊饒な】 rich;→英和 fertile.→英和 〜の角 the cornucopia;→英和 the horn of plenty.

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