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広辞苑の検索結果 (38)
ほった【堀田】🔗⭐🔉
ほった‐まさとし【堀田正俊】🔗⭐🔉
ほった‐まさとし【堀田正俊】
江戸前期の幕府大老。下総古河藩主。若年寄を経て老中となり、将軍綱吉の擁立に成功。稲葉正休まさやすに殿中で刺殺。(1634〜1684)
⇒ほった【堀田】
ほった‐まさよし【堀田正睦】🔗⭐🔉
ほった‐まさよし【堀田正睦】
幕末の幕府老中。下総佐倉藩主。将軍家斉・家慶・家定3代に歴仕。アメリカ総領事ハリスと日米修好通商条約を締結。(1810〜1864)
⇒ほった【堀田】
ほった‐よしえ【堀田善衛】‥ヱ🔗⭐🔉
ほった‐よしえ【堀田善衛】‥ヱ
小説家・評論家。富山県生れ。慶大卒。「広場の孤独」で芥川賞受賞後、国際感覚を生かした作品で活躍。作「インドで考えたこと」「方丈記私記」など。(1918〜1998)
⇒ほった【堀田】
ほり【堀】🔗⭐🔉
ほり【堀】
(動詞「ほる」の連用形から)
①地を細長く掘り、水を通したもの。落窪物語2「いと深き―にてとみにえ引きあげで」
②(「濠」とも書く)敵の侵入を防ぐため、城の周囲を掘って水をたたえた所。「―をめぐらす」
堀
撮影:関戸 勇
③魚が産卵するために川底につくる小さなくぼみ。
③魚が産卵するために川底につくる小さなくぼみ。
ほり【堀】(姓氏)🔗⭐🔉
ほりうち【堀内】🔗⭐🔉
ほりうち【堀内】
姓氏の一つ。
⇒ほりうち‐まさかず【堀内正和】
ほりうち‐まさかず【堀内正和】🔗⭐🔉
ほりうち‐まさかず【堀内正和】
彫刻家。京都生れ。藤川勇造に師事。諧謔に富む知的構成の作風で知られる。作「海の風」「立方体の二等分」など。(1911〜2001)
⇒ほりうち【堀内】
ほり‐え【堀江】🔗⭐🔉
ほり‐え【堀江】
地を掘って水を通した川。運河。疏水。万葉集18「―には玉敷かましを」
ほりお【堀尾】‥ヲ🔗⭐🔉
ほりお【堀尾】‥ヲ
姓氏の一つ。
⇒ほりお‐よしはる【堀尾吉晴】
ほりお‐よしはる【堀尾吉晴】‥ヲ‥🔗⭐🔉
ほりお‐よしはる【堀尾吉晴】‥ヲ‥
(名は可晴とも書く)戦国時代の武将。尾張の出身。豊臣秀吉に仕え、小田原合戦後、浜松に入封。家康に通じ、功により子の忠氏は松江に封ぜられたが、孫忠晴の没後廃絶。(1543〜1611)
⇒ほりお【堀尾】
ほり‐かわ【堀川】‥カハ🔗⭐🔉
ほり‐かわ【堀川】‥カハ
①京都市街の西部を北から南へ貫流する川、また通りの名。平安京の小路名。
堀川
撮影:的場 啓
②浄瑠璃「近頃河原達引ちかごろかわらのたてひき」の通称。特に「堀川猿廻し」の場は、その中巻後半をいう。
⇒ほりかわ‐いん【堀川院・堀河院】
⇒ほりかわ‐がく【堀川学】
⇒ほりかわ‐じゅく【堀川塾】
②浄瑠璃「近頃河原達引ちかごろかわらのたてひき」の通称。特に「堀川猿廻し」の場は、その中巻後半をいう。
⇒ほりかわ‐いん【堀川院・堀河院】
⇒ほりかわ‐がく【堀川学】
⇒ほりかわ‐じゅく【堀川塾】
ほりかわ‐いん【堀川院・堀河院】‥カハヰン🔗⭐🔉
ほりかわ‐いん【堀川院・堀河院】‥カハヰン
京都の堀川の東にあった藤原基経の邸。堀河殿。
⇒ほり‐かわ【堀川】
ほりかわ‐がく【堀川学】‥カハ‥🔗⭐🔉
ほりかわ‐がく【堀川学】‥カハ‥
伊藤仁斎の唱えた古義学の別称。仁斎の邸宅が京都近衛(出水通)の南、堀川の東にあったからいう。
⇒ほり‐かわ【堀川】
ほりかわ‐じゅく【堀川塾】‥カハ‥🔗⭐🔉
ほりかわ‐じゅく【堀川塾】‥カハ‥
伊藤仁斎が京都堀川に開いた私塾、古義堂の異称。堀川学校。
⇒ほり‐かわ【堀川】
ほりかわ‐てんのう【堀河天皇】‥カハ‥ワウ🔗⭐🔉
ほりかわ‐てんのう【堀河天皇】‥カハ‥ワウ
平安後期の天皇。白河天皇の第2皇子。名は善仁たるひと。父上皇が院政を開く。(在位1086〜1107)(1079〜1107)→天皇(表)
ほりかわなみのつづみ【堀川波鼓】‥カハ‥🔗⭐🔉
ほりかわなみのつづみ【堀川波鼓】‥カハ‥
浄瑠璃。近松門左衛門作の世話物。1707年(宝永4)初演。前年の鳥取藩士大蔵彦八郎(小倉彦九郎)が、妹くらと妻たねの妹ふうとの3人で、妻敵めがたき宮井伝右衛門を京都堀川で討った事件を脚色。
→文献資料[堀川波鼓]
ほりかわひゃくしゅ【堀河百首】‥カハ‥🔗⭐🔉
ほりかわひゃくしゅ【堀河百首】‥カハ‥
歌集。藤原公実きんざね・源国信くにざね・同俊頼ら堀河天皇側近歌人を中心に、大江匡房・藤原基俊ら計十余名が各自詠んだ百首歌の集成。1105年(長治2)以降成る。組題百首の嚆矢で、永久百首以下や中世和歌に大きな影響を与えた。堀河院御時百首和歌。堀河院初度百首。堀河院太郎百首。
ほり‐きょうあん【堀杏庵】‥キヤウ‥🔗⭐🔉
ほり‐きょうあん【堀杏庵】‥キヤウ‥
江戸初期の儒医。近江の人。儒学を藤原惺窩せいかに、医を曲直瀬まなせ正純に学び、広島藩ついで尾張藩に仕え、法印。また、歴史を好み、晩年、幕府に仕えて「寛永諸家系図伝」の編纂に従事。(1585〜1642)
⇒ほり【堀】
ほり‐きり【堀切】🔗⭐🔉
ほり‐きり【堀切】
地を掘って切り通した堀。太平記17「―を境ひて掻楯かいたてを掻き」
ほり‐ぐち【堀口】🔗⭐🔉
ほり‐ぐち【堀口】
堀の水の流れ出る口、または、流れ入る口。
ほりぐち【堀口】(姓氏)🔗⭐🔉
ほりぐち【堀口】
姓氏の一つ。
⇒ほりぐち‐だいがく【堀口大学】
ほりぐち‐だいがく【堀口大学】🔗⭐🔉
ほりぐち‐だいがく【堀口大学】
詩人。東京生れ。慶大中退。訳詩集「月下の一群」は近代フランス詩・シュールレアリスム詩の紹介で、昭和の新文学に影響を与えた。詩集「砂の枕」など。文化勲章。(1892〜1981)
堀口大学
撮影:田沼武能
⇒ほりぐち【堀口】
⇒ほりぐち【堀口】
ほり‐くび【堀頸】🔗⭐🔉
ほり‐くび【堀頸】
生きながら地中に埋めて首を落とす刑。平家物語11「鋸にてや切るべき、―にやすべき」
ほりこし【堀越】🔗⭐🔉
ほりこし【堀越】
(正しくは「ほりごえ」)伊豆国田方郡(現、伊豆の国市)の地名。室町時代、堀越公方の拠点となる。
⇒ほりこし‐くぼう【堀越公方】
⇒ほりこし‐ごしょ【堀越御所】
ほりこし‐くぼう【堀越公方】‥バウ🔗⭐🔉
ほりこし‐くぼう【堀越公方】‥バウ
堀越御所に拠った足利政知あしかがまさともの異称。
⇒ほりこし【堀越】
ほりこし‐ごしょ【堀越御所】🔗⭐🔉
ほりこし‐ごしょ【堀越御所】
堀越にあった足利政知の邸宅。また、政知のこと。室町幕府から関東支配の命を受けた政知は、ここに拠って古河公方こがくぼうと対抗したが、その子茶々丸に至って滅びた。ほりごえごしょ。
⇒ほりこし【堀越】
ほり‐たつお【堀辰雄】‥ヲ🔗⭐🔉
ほり‐たつお【堀辰雄】‥ヲ
小説家。東京生れ。東大卒。芥川竜之介・室生犀星に師事、日本的風土に近代フランスの知性を定着させ、独自の作風を造型した。作「聖家族」「風立ちぬ」「幼年時代」「菜穂子」など。(1904〜1953)
堀辰雄
提供:毎日新聞社
⇒ほり【堀】
⇒ほり【堀】
ほり‐づり【堀釣り】🔗⭐🔉
ほり‐づり【堀釣り】
釣堀でする釣り。
ほり‐どめ【堀留】🔗⭐🔉
ほり‐どめ【堀留】
堀・溝などを掘って行って止めたところ。
ほり‐の‐うち【堀の内】🔗⭐🔉
ほり‐の‐うち【堀の内】
①地頭など、中世在地領主の屋敷地内。土居どい。
②城下町の堀をめぐらした中の町の称。住民招致策によってできた町ともいわれ、特に関東地方の地名に多く残存。
ほりのうち‐まいり【堀の内詣り】‥マヰリ🔗⭐🔉
ほりのうち‐まいり【堀の内詣り】‥マヰリ
東京都杉並区堀ノ内にある日蓮宗の日円山妙法寺に参詣すること。「お祖師様参り」ともいい、江戸時代から毎月(特に10月)の13日は参詣でにぎわった。厄除やくよけで有名。
ほり‐ばくすい【堀麦水】🔗⭐🔉
ほり‐ばくすい【堀麦水】
江戸中期の俳人。金沢生れ。卑俗を拒んで貞享じょうきょう蕉風を唱導。著「新みなし栗」「慶安太平記」など。(1718〜1783)
⇒ほり【堀】
ほり‐ばた【堀端】🔗⭐🔉
ほり‐ばた【堀端】
堀のほとり。泉鏡花、夜行巡査「あはやと見る間に―の土手へひたりと飛乗りたり」
ほりべ【堀部】🔗⭐🔉
ほりべ【堀部】
姓氏の一つ。
⇒ほりべ‐やすべえ【堀部安兵衛】
⇒ほりべ‐やへえ【堀部弥兵衛】
ほりべ‐やすべえ【堀部安兵衛】‥ヱ🔗⭐🔉
ほりべ‐やすべえ【堀部安兵衛】‥ヱ
赤穂義士の一人。名は武庸。もと中山氏。弥兵衛の養子。高田馬場の仇討で名高く、歌舞伎・講釈の人気者。(1670〜1703)
⇒ほりべ【堀部】
ほりべ‐やへえ【堀部弥兵衛】‥ヱ🔗⭐🔉
ほりべ‐やへえ【堀部弥兵衛】‥ヱ
赤穂義士の一人。名は金丸。安兵衛の養父。浅野家の江戸留守居役で、義士の最年長者。(1627〜1703)
⇒ほりべ【堀部】
[漢]堀🔗⭐🔉
堀 字形
筆順
〔土部8画/11画/常用/4357・4B59〕
〔音〕クツ(漢)
〔訓〕ほり
[意味]
ほり。土地を掘って作った水路。濠ほり。
▷「堀」は名詞として用い、「掘」は動詞に用いる。
[解字]
形声。「土」+音符「屈」(=くぼんだ穴)。土をほって作った穴の意。「窟」に同じ。のち「掘」と通じ用いた。
筆順
〔土部8画/11画/常用/4357・4B59〕
〔音〕クツ(漢)
〔訓〕ほり
[意味]
ほり。土地を掘って作った水路。濠ほり。
▷「堀」は名詞として用い、「掘」は動詞に用いる。
[解字]
形声。「土」+音符「屈」(=くぼんだ穴)。土をほって作った穴の意。「窟」に同じ。のち「掘」と通じ用いた。
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ほった【堀田】🔗⭐🔉
ほった 【堀田】
姓氏の一。
ほった-まさとし【堀田正俊】🔗⭐🔉
ほった-まさとし 【堀田正俊】
(1634-1684) 江戸初期の大名。大老。老中の時,綱吉擁立に成功。下総(シモウサ)古河一三万石を領。従弟でもある若年寄稲葉正休(マサヤス)の私怨を買って殿中で刺殺された。
ほった-まさよし【堀田正睦】🔗⭐🔉
ほった-まさよし 【堀田正睦】
(1810-1864) 江戸末期の幕府老中。下総(シモウサ)佐倉藩主。1855年老中首座となり,58年上洛して開国の勅許を求めたが得られず,老中を罷免され,のち蟄居。
ほり【堀・濠・壕】🔗⭐🔉
ほり [2] 【堀・濠・壕】
(1)地面を掘って水を通したもの。堀割。
(2)地面を深く掘って敵の侵入を防ぐ防御施設としたもの。必要に応じて水をたたえたりする。
ほり【堀】🔗⭐🔉
ほり 【堀】
姓氏の一。
ほり-きょうあん【堀杏庵】🔗⭐🔉
ほり-きょうあん ―キヤウアン 【堀杏庵】
(1585-1642) 江戸初期の儒医。近江の人。儒学を藤原惺窩(セイカ),医を曲直瀬(マナセ)正純に学ぶ。安芸藩,次いで尾張藩に仕え法眼に進む。晩年,幕命により江戸に出て大名諸家の系図を編纂(ヘンサン)。
ほり-たつお【堀辰雄】🔗⭐🔉
ほり-たつお ―タツヲ 【堀辰雄】
(1904-1953) 小説家。東京,麹町生まれ。東大卒。「驢馬(ロバ)」同人。芥川竜之介に師事。西欧心理主義文学に親しみ,知的抒情と死を凝視した繊細な心理分析にすぐれた。代表作「聖家族」「美しい村」「風立ちぬ」「菜穂子」
ほり-たつのすけ【堀達之助】🔗⭐🔉
ほり-たつのすけ 【堀達之助】
(1823-1894) オランダ通詞。肥前の人。英語研究の先覚者。1862年わが国最初の英語辞典「英和対訳袖珍(シユウチン)辞典」を発行。
ほり-ばくすい【堀麦水】🔗⭐🔉
ほり-ばくすい 【堀麦水】
(1718-1783) 江戸中期の俳人・実録作者。名,堀長。金沢の人。五々門,のち麦浪門。俳諧中興運動の中,支麦(シバク)の俗調を嫌い,初期蕉風への復帰を提唱。著「新虚栗(シンミナシグリ)」「俳諧蒙求」
ほり-え【堀江】🔗⭐🔉
ほり-え [0] 【堀江】
(1)掘って水を通した川。運河。疎水。
(2)難波の堀江のこと。仁徳天皇の時に開削された堀江で,後の天満川(現在の大川)にあたるとされる。((歌枕))「―より水脈(ミオ)さかのぼる梶の音の/万葉 4461」
ほりお【堀尾】🔗⭐🔉
ほりお ホリヲ 【堀尾】
姓氏の一。
ほりお-よしはる【堀尾吉晴】🔗⭐🔉
ほりお-よしはる ホリヲ― 【堀尾吉晴】
(1543-1611) 安土桃山時代の武将。豊臣家三中老の一人。関ヶ原の戦いでは東軍につき,出雲・隠岐二四万石に加増移封。
ほりかね-の-い【堀兼の井】🔗⭐🔉
ほりかね-の-い ―
【堀兼の井】
武蔵野の名所として知られた井戸。現在の埼玉県狭山市,堀兼神社の境内に跡が保存されている。((歌枕))「武蔵なる―の底を浅み思ふ心をなににたとへむ/古今六帖 2」
【堀兼の井】
武蔵野の名所として知られた井戸。現在の埼玉県狭山市,堀兼神社の境内に跡が保存されている。((歌枕))「武蔵なる―の底を浅み思ふ心をなににたとへむ/古今六帖 2」
ほり-かわ【堀川】🔗⭐🔉
ほり-かわ ―カハ [2] 【堀川】
運河。疎水。堀江。
ほり-かわ【堀川】🔗⭐🔉
ほり-かわ ―カハ 【堀川】
京都市中央部を南流する川。賀茂川から分流し,南区上鳥羽南東で鴨川に合する。
ほりかわ-いん【堀川院】🔗⭐🔉
ほりかわ-いん ―カハ
ン 【堀川院】
堀川の東にあった藤原基経の邸。
ン 【堀川院】
堀川の東にあった藤原基経の邸。
ほりかわ-がくは【堀川学派】🔗⭐🔉
ほりかわ-がくは ―カハ― 【堀川学派】
〔伊藤仁斎の邸が京都堀川の東にあったのでいう〕
古義学派の別名。
ほりかわ-じゅく【堀川塾】🔗⭐🔉
ほりかわ-じゅく ―カハ― 【堀川塾】
江戸時代,京都堀川に伊藤仁斎が開いた塾。堀川学校。古義堂。
ほりかわ-てんのう【堀河天皇】🔗⭐🔉
ほりかわ-てんのう ホリカハテンワウ 【堀河天皇】
(1079-1107) 第七三代天皇(在位 1086-1107)。名は善仁(タルヒト)。白河天皇第二皇子。白河上皇の院政が行われたが,自ら政務に励み賢王と称された。
ほりかわなみのつづみ【堀川波鼓】🔗⭐🔉
ほりかわなみのつづみ ホリカハ― 【堀川波鼓】
人形浄瑠璃。世話物。近松門左衛門作。1707年初演。鳥取の藩士小倉彦九郎の妻お種は,夫の江戸詰めのさびしさから宮地源右衛門と不義を犯すが,帰国した夫に会ったのち自害する。彦九郎は妻敵討(メガタキウチ)を果たす。近松三大姦通物の一。
ほりかわひゃくしゅ【堀河百首】🔗⭐🔉
ほりかわひゃくしゅ ホリカハ― 【堀河百首】
和歌集。康和年間(1099-1104)頃成立。堀河天皇の召しにより,藤原公実が企て,源俊頼が勧進したという。藤原公実・源俊頼のほか,当時の代表歌人,大江匡房・藤原基俊など一六人の,立春・子日(ネノヒ)以下一〇〇題の百首歌を収める。勅撰集に二五〇余首が撰入され,また歌合(ウタアワセ)の証歌としても重んじられて,以後の組題百首の規範となった。堀河院御時百首和歌。堀河院初度百首。堀河院太郎百首。
ほりき-そしょう【堀木訴訟】🔗⭐🔉
ほりき-そしょう 【堀木訴訟】
1970年(昭和45)堀木文子が,障害福祉年金と児童扶養手当の併給禁止は憲法二五条の生存権の保障および一四条の平等保障原則に違憲するとして提訴した事件。73年,児童扶養手当法の改正により,併給は認められた。
ほり-きり【堀切り】🔗⭐🔉
ほり-きり [0] 【堀切り】
地を掘って切り通した堀。
ほりぐち【堀口】🔗⭐🔉
ほりぐち 【堀口】
姓氏の一。
ほりぐち-だいがく【堀口大学】🔗⭐🔉
ほりぐち-だいがく 【堀口大学】
(1892-1981) 詩人。東京生まれ。慶大中退。詩作とともにフランス文学の訳業により大正中期から昭和初期の文壇に新風を吹き込んだ。詩集「月光とピエロ」「砂の枕」,訳詩集「月下の一群」など。
ほり-くび【堀頸】🔗⭐🔉
ほり-くび 【堀頸】
生きたまま地中に埋めて首を斬る刑。「源氏世に出でて後は,長田を―にせらるるか/平治(下)」
ほりこし-くぼう【堀越公方】🔗⭐🔉
ほりこし-くぼう ―クバウ 【堀越公方】
足利政知(アシカガマサトモ)の通称。足利義政は幕命にそむいて下総古河に拠った足利成氏(古河公方)に対抗して,関東の主として弟政知を下向させたが,政知は鎌倉に入れず,伊豆堀越に居館を構えて,一生を終えたので,この名がある。
ほり-づり【堀釣(り)】🔗⭐🔉
ほり-づり [0] 【堀釣(り)】
釣り堀でする釣り。
ほり-の-うち【堀の内】🔗⭐🔉
ほり-の-うち [3] 【堀の内】
(1)中世在地領主の屋敷地内。
(2)城下町の堀の内側に形成された町。地名として残っている所が多い。
ほりのうち【堀内】🔗⭐🔉
ほりのうち 【堀内】
姓氏の一。
ほりのうち-せんかく【堀内仙鶴】🔗⭐🔉
ほりのうち-せんかく 【堀内仙鶴】
(1675-1748) 江戸中期の茶人・俳人。茶家堀内家の祖。江戸で水間沽徳に俳諧を学び,のち京都に出て表千家六代原叟宗左に学んで茶家として立つ。
ほり-ばた【堀端】🔗⭐🔉
ほり-ばた [0] 【堀端】
堀のふち。堀の岸辺。
ほりべ【堀部】🔗⭐🔉
ほりべ 【堀部】
姓氏の一。
ほりべ-やすべえ【堀部安兵衛】🔗⭐🔉
ほりべ-やすべえ ―ヤスベ
【堀部安兵衛】
(1670-1703) 赤穂浪士の一人。本姓中山。名は武庸。堀部弥兵衛金丸の養子。菅野六左衛門を助けた高田馬場の決闘で有名。
【堀部安兵衛】
(1670-1703) 赤穂浪士の一人。本姓中山。名は武庸。堀部弥兵衛金丸の養子。菅野六左衛門を助けた高田馬場の決闘で有名。
ほりべ-やへえ【堀部弥兵衛】🔗⭐🔉
ほりべ-やへえ ―ヤヘ
【堀部弥兵衛】
(1627-1703) 赤穂浪士の一人。名は金丸。浅野家の江戸留守居。義士の最年長者。
【堀部弥兵衛】
(1627-1703) 赤穂浪士の一人。名は金丸。浅野家の江戸留守居。義士の最年長者。
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