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か-めい クワ― [0][1] 【科名】🔗⭐🔉
か-めい クワ― [0][1] 【科名】
(1)〔生〕 分類学上の一段階である科の名称。
(2)〔教育〕(ア)学科名。普通科・商業科・電気科などの名称。(イ)教科名。国語科・数学科などの名称。科目名。
か-めい [0][1] 【家名】🔗⭐🔉
か-めい [0][1] 【家名】
(1)家の名。また,家督。「―を継ぐ」「―相続」
(2)家の名誉。「―を汚す」「―を挙げる」
かめい カメ
【亀井】🔗⭐🔉
かめい カメ
【亀井】
姓氏の一。
【亀井】
姓氏の一。
かめい-かついちろう カメ
カツイチラウ 【亀井勝一郎】🔗⭐🔉
かめい-かついちろう カメ
カツイチラウ 【亀井勝一郎】
(1907-1966) 評論家。函館生まれ。東大中退。日本の伝統や美意識を幅広く追究。著「転形期の文学」「大和古寺風物誌」「我が精神の遍歴」「日本人の精神史研究」など。
カツイチラウ 【亀井勝一郎】
(1907-1966) 評論家。函館生まれ。東大中退。日本の伝統や美意識を幅広く追究。著「転形期の文学」「大和古寺風物誌」「我が精神の遍歴」「日本人の精神史研究」など。
かめい-これのり カメ
― 【亀井茲矩】🔗⭐🔉
かめい-これのり カメ
― 【亀井茲矩】
(1557-1612) 安土桃山時代・江戸初期の武将。通称,新十郎。出雲尼子氏の臣であったが,豊臣秀吉に仕え因幡国鹿野城主となる。殖産につとめ,伯耆国石見銀山をも経営。関ヶ原の戦いでは東軍に属し,のち朱印船貿易にも力を注いだ。
― 【亀井茲矩】
(1557-1612) 安土桃山時代・江戸初期の武将。通称,新十郎。出雲尼子氏の臣であったが,豊臣秀吉に仕え因幡国鹿野城主となる。殖産につとめ,伯耆国石見銀山をも経営。関ヶ原の戦いでは東軍に属し,のち朱印船貿易にも力を注いだ。
かめい-しょうよう カメ
セウヤウ 【亀井昭陽】🔗⭐🔉
かめい-しょうよう カメ
セウヤウ 【亀井昭陽】
(1773-1836) 江戸後期の儒者。筑前の人。名は
(イク)。南冥の長男。父の跡を継ぎ福岡藩校で子弟を教導。徂徠学の影響の強い経学を唱えた。著「論語語由述志」「
文談」「読弁道」など。
セウヤウ 【亀井昭陽】
(1773-1836) 江戸後期の儒者。筑前の人。名は
(イク)。南冥の長男。父の跡を継ぎ福岡藩校で子弟を教導。徂徠学の影響の強い経学を唱えた。著「論語語由述志」「
文談」「読弁道」など。
かめい-たかし カメ
― 【亀井孝】🔗⭐🔉
かめい-たかし カメ
― 【亀井孝】
(1912-1995) 言語学者・国語学者。東京生まれ。一橋大教授。上代から中世にかけての音韻史を中心に多くの業績を残した。著「日本語学のために」「日本語のすがたとこころ」,ほかに「言語学大辞典」の編集など。
― 【亀井孝】
(1912-1995) 言語学者・国語学者。東京生まれ。一橋大教授。上代から中世にかけての音韻史を中心に多くの業績を残した。著「日本語学のために」「日本語のすがたとこころ」,ほかに「言語学大辞典」の編集など。
かめい-なんめい カメ
― 【亀井南冥】🔗⭐🔉
かめい-なんめい カメ
― 【亀井南冥】
(1743-1814) 江戸後期の儒者・医者。筑前の人。名は魯,字(アザナ)は道載,南冥は号。福岡藩儒医。藩校西学甘棠館総受持。徂徠学派の儒者として名を挙げたが,のち職禄を奪われた。著「論語語由」「肥後物語」など。
― 【亀井南冥】
(1743-1814) 江戸後期の儒者・医者。筑前の人。名は魯,字(アザナ)は道載,南冥は号。福岡藩儒医。藩校西学甘棠館総受持。徂徠学派の儒者として名を挙げたが,のち職禄を奪われた。著「論語語由」「肥後物語」など。
かめい-ふみお カメ
フミヲ 【亀井文夫】🔗⭐🔉
かめい-ふみお カメ
フミヲ 【亀井文夫】
(1908-1987) 記録映画監督。福島県生まれ。レニングラード映画演劇学校で学ぶ。「上海」「戦ふ兵隊」などを撮るが,治安維持法によって検挙される。ほかに「日本の悲劇」「戦争と平和」など。
フミヲ 【亀井文夫】
(1908-1987) 記録映画監督。福島県生まれ。レニングラード映画演劇学校で学ぶ。「上海」「戦ふ兵隊」などを撮るが,治安維持法によって検挙される。ほかに「日本の悲劇」「戦争と平和」など。
大辞林 ページ 141482。