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しゅんとくまる 【俊徳丸】🔗⭐🔉
しゅんとくまる 【俊徳丸】
伝説上の人物。河内の国,高安家に清水観音の申し子として生まれたが,盲になり,乞食となる。能「弱法師(ヨロボシ)」をはじめ,説経節「しんとく丸」,浄瑠璃「摂州合邦辻(セツシユウガツポウガツジ)」などに脚色。
じゅん-トンすう [3] 【純―数】🔗⭐🔉
じゅん-トンすう [3] 【純―数】
総トン数から船員室・機関室など船舶自体の運航に必要な部分の容積を除いた残りの容積。船の貨物または旅客の積載に利用し得る理論的な容積を示すもの。トン税や手数料計算などの基準になる。一〇〇立方フィート(約2.83立方メートル)を一トンとする。登簿トン数。
じゅんないん ジユンワ
ン 【淳和院】🔗⭐🔉
じゅんないん ジユンワ
ン 【淳和院】
淳和天皇の後院。平安京右京四条大路北側にあった。のち同名を寺号とする寺とされ,源氏から別当職が置かれた。
ン 【淳和院】
淳和天皇の後院。平安京右京四条大路北側にあった。のち同名を寺号とする寺とされ,源氏から別当職が置かれた。
じゅんなしょうがくりょういん-べっとう ジユンワシヤウガクリヤウ
ンベツタウ [1]-[5] 【淳和奨学両院別当】🔗⭐🔉
じゅんなしょうがくりょういん-べっとう ジユンワシヤウガクリヤウ
ンベツタウ [1]-[5] 【淳和奨学両院別当】
淳和院と奨学院との別当を兼任する人。古くは源氏の長者が両院の別当を兼任し,長者が大臣に任ぜられると源氏の次位者に与えられたが,1140年右大臣中院(ナカノイン)雅定(村上源氏)が両院別当に任ぜられてから,その子孫の世襲となった。1383年将軍足利義満(清和源氏の裔)が任ぜられてより将軍家の兼任となった。明治維新で廃止。
ンベツタウ [1]-[5] 【淳和奨学両院別当】
淳和院と奨学院との別当を兼任する人。古くは源氏の長者が両院の別当を兼任し,長者が大臣に任ぜられると源氏の次位者に与えられたが,1140年右大臣中院(ナカノイン)雅定(村上源氏)が両院別当に任ぜられてから,その子孫の世襲となった。1383年将軍足利義満(清和源氏の裔)が任ぜられてより将軍家の兼任となった。明治維新で廃止。
じゅんな-てんのう ジユンワテンワウ 【淳和天皇】🔗⭐🔉
じゅんな-てんのう ジユンワテンワウ 【淳和天皇】
(786-840) 第五三代天皇(在位 823-833)。名は大伴。西院の帝(ミカド)ともいう。桓武天皇の皇子。漢学にすぐれ,「令義解」「経国集」を編ませた。
じゅん-なん [0] 【殉難】 (名)スル🔗⭐🔉
じゅん-なん [0] 【殉難】 (名)スル
国家・宗教や公共の利益のために一身を犠牲にすること。
じゅん-に 【順に】 (連語)🔗⭐🔉
じゅん-に 【順に】 (連語)
順序に従って。順々に。「前から―詰めて下さい」
→順
じゅんにょ 【准如】🔗⭐🔉
じゅんにょ 【准如】
(1577-1630) 浄土真宗本願寺派の第一二世。西本願寺初世。顕如の第四子。諱(イミナ)は光昭。豊臣氏の命令で長兄教如(のち東本願寺を興す)が引退に追い込まれ,代わって法統を継いだ。
大辞林 ページ 146399。