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みなもと-の-よしなか 【源義仲】🔗🔉

みなもと-の-よしなか 【源義仲】 (1154-1184) 平安末期の武将。為義の孫。木曾山中で育てられ,木曾次郎と称した。1180年,以仁王(モチヒトオウ)の令旨に応じて挙兵し,平維盛の大軍を倶利伽羅(クリカラ)峠に破り,平氏を都落ちさせて入京。勢威を振るったが後白河院と対立,源義経・範頼軍に攻められて,近江粟津で敗死した。木曾義仲。朝日将軍。

みなもと-の-よしひら 【源義平】🔗🔉

みなもと-の-よしひら 【源義平】 (1141-1160) 平安末期の武将。義朝の長男。一五歳の時合戦で叔父の義賢を殺して武名をあげ,悪源太と称された。平治の乱には父に従ったが,敗れて美濃に逃れ,のち再び入京,平清盛らを討とうとして斬られた。

みなもと-の-よしみつ 【源義光】🔗🔉

みなもと-の-よしみつ 【源義光】 (1045-1127) 平安後期の武将。頼義の三男,義家の弟。通称,新羅(シンラ)三郎。後三年の役に義家の苦戦を聞き,官許を得ずに救援に赴き解官された。のち東国を経営,武田氏・佐竹氏・小笠原氏などの祖となった。射術にすぐれ,また笙(シヨウ)の名手。

みなもと-の-よりいえ ―ヨリイヘ 【源頼家】🔗🔉

みなもと-の-よりいえ ―ヨリイヘ 【源頼家】 (1182-1204) 鎌倉幕府二代将軍。頼朝の長男,実朝の兄。母は北条政子。幼名,万寿。1199年頼朝の死により家督を継ぎ,1202年征夷大将軍に任じられたが,北条時政らに実権を奪われた。義父の比企能員(ヨシカズ)とともに北条氏追討を企てるも失敗,伊豆修善寺に幽閉,謀殺された。

みなもと-の-よりとも 【源頼朝】🔗🔉

みなもと-の-よりとも 【源頼朝】 (1147-1199) 鎌倉幕府初代将軍。義朝の三男。平治の乱後,伊豆蛭ヶ小島に配流。1180年以仁王(モチヒトオウ)の平氏追討の令旨に応じ挙兵。石橋山に敗れ安房に逃げたが,東国武士の来援を得て関東を制しつつ鎌倉にはいって根拠地とした。同年,平維盛の追討軍を富士川に破る。83年,東国支配を認める宣旨を得,ついで弟の範頼・義経を西上させ,85年壇浦で平氏を討滅し全国を平定。その後,義経追討を口実に全国に守護・地頭を設置,武家政治の基礎を確立。92年征夷大将軍に任ぜられた。

大辞林 ページ 155142