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ふじわら‐の‐ためすけ【藤原為相】ふぢはら‐🔗⭐🔉
ふじわら‐の‐ためすけ【藤原為相】ふぢはら‐
冷泉為相(れいぜいためすけ)
冷泉為相(れいぜいためすけ)
ふじわら‐の‐ためなり【藤原為業】ふぢはら‐🔗⭐🔉
ふじわら‐の‐ためなり【藤原為業】ふぢはら‐
平安末期の歌人。出家して寂念(じやくねん)と号し、兄弟の為経(寂超)・頼業(寂然)とともに大原に隠れ住み、大原三寂と称された。歌は「千載集」などにみえる。生没年未詳。
ふじわら‐の‐ためのり【藤原為教】ふぢはら‐🔗⭐🔉
ふじわら‐の‐ためのり【藤原為教】ふぢはら‐
[一二二七〜一二七九]鎌倉中期の歌人。為家の次男。為兼の父。京極家の祖。歌は「続拾遺集」などにみえる。
ふじわら‐の‐ためよ【藤原為世】ふぢはら‐🔗⭐🔉
ふじわら‐の‐ためよ【藤原為世】ふぢはら‐
[一二五一〜一三三八]鎌倉後期の歌人。為氏の子。法名、明釈。二条家の嫡流で伝統的立場を守り、進歩的な京極為兼と対立。「新後撰集」「続千載集」を撰進。歌論書「和歌庭訓抄」など。二条為世。
ふじわら‐の‐ていか【藤原定家】ふぢはら‐🔗⭐🔉
ふじわら‐の‐ていか【藤原定家】ふぢはら‐
[一一六二〜一二四一]鎌倉初期の歌人。名は「さだいえ」とも。俊成の子。父のあとを継いで有心(うしん)体の象徴的歌風を確立し、歌壇の指導者として活躍。「新古今集」の撰者の一人。のち「新勅撰集」を撰し、「源氏物語」などの古典の校訂・研究者としてもすぐれた業績を残した。家集「拾遺愚草」、歌論書「近代秀歌」「毎月抄」「詠歌大概」、日記「明月記」など。
ふじわら‐の‐ていし【藤原定子】ふぢはら‐🔗⭐🔉
ふじわら‐の‐ていし【藤原定子】ふぢはら‐
[九七六〜一〇〇〇]一条天皇の皇后。道隆の娘。正暦元年(九九〇)入内して女御、のち中宮。長保二年(一〇〇〇)藤原彰子が中宮に立ったため皇后となり一代二后の例を開いた。
ふじわら‐の‐ときひら【藤原時平】ふぢはら‐🔗⭐🔉
ふじわら‐の‐ときひら【藤原時平】ふぢはら‐
[八七一〜九〇九]平安前期の公卿。基経の子。菅原道真を大宰権帥(だざいのごんのそち)に左遷して藤原氏の地位を確保。最初の荘園整理令を発し、班田収授制を施行して、律令制の維持に努力。「三代実録」「延喜式」の編集に参画。
ふじわら‐の‐としなり【藤原俊成】ふぢはら‐🔗⭐🔉
ふじわら‐の‐としなり【藤原俊成】ふぢはら‐
ふじわらのしゅんぜい
ふじわらのしゅんぜい
大辞泉 ページ 13102。