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かかれ‐ど【×斯かれど】🔗🔉

かかれ‐ど【×斯かれど】 [接]《「かくあれど」の音変化》こうではあるけれど。「船にも思ふことあれど、かひなし。―、この歌を独り言にしてやみぬ」〈土佐〉

かかれ‐ば【×斯かれば】🔗🔉

かかれ‐ば【×斯かれば】 [接]《「かくあれば」の音変化》こうであるから。こういうわけだから。「昔、山にて見つけたる。―、心ばせも世の人に似ず侍り」〈竹取〉

かがわ【香川】かがは🔗🔉

かがわ【香川】かがは 四国地方北東部の県。もとの讚岐(さぬき)にあたる。県庁所在地は高松市。

かがわ【賀川】かがは🔗🔉

かがわ【賀川】かがは 姓氏の一。

かがわ‐いかだいがく【香川医科大学】かがはイクワダイガク🔗🔉

かがわ‐いかだいがく【香川医科大学】かがはイクワダイガク 香川県木田郡三木町にある国立大学。昭和五三年(一九七八)設置。

かがわ‐かげき【香川景樹】かがは‐🔗🔉

かがわ‐かげき【香川景樹】かがは‐一七六八〜一八四三]江戸後期の歌人。鳥取の人。号、桂園。香川景柄(かげもと)、小沢蘆庵に師事。賀茂真淵(かものまぶち)らの古代尊重主義に反対、純粋感情を重んじる桂園派を打ち立てた。著に歌集「桂園一枝」、歌論「新学異見(にいまなびいけん)」「古今和歌集正義」など。

かがわ‐げんえつ【賀川玄悦】かがは‐🔗🔉

かがわ‐げんえつ【賀川玄悦】かがは‐一七〇〇〜一七七七]江戸中期の医師。近江(おうみ)の人。字(あざな)は子玄。本姓は三浦。鍼灸術(しんきゆうじゆつ)をよくしたが、難産を救ったことから助産術を独自に考案し、賀川流産科の祖となった。著「産論」など。

かがわ‐だいがく【香川大学】かがは‐🔗🔉

かがわ‐だいがく【香川大学】かがは‐ 香川県高松市に本部のある国立大学。高松高等商業学校・香川師範学校・香川青年師範学校を統合し、昭和二四年(一九四九)新制大学として発足。同三〇年香川県立農科大学を合併。

かがわ‐とよひこ【賀川豊彦】かがは‐🔗🔉

かがわ‐とよひこ【賀川豊彦】かがは‐一八八八〜一九六〇]キリスト教伝道者・社会運動家。兵庫の生まれ。神戸市北本町の貧民街で伝道を開始。労働争議・農民運動・協同組合運動を指導。著「死線を越えて」など。

かかわら‐ず【拘らず・係わらず】かかはら‐🔗🔉

かかわら‐ず【拘らず・係わらず】かかはら‐ 〔連語〕《動詞「かか(係)わる」の未然形+打消しの助動詞「ず」の連用形》(「…に」「…にも」のあとに付けて用いる)…なのにそれでも。…であるのに。「努力したにも―受からなかった」…に関係なく。「晴雨に―実施する」

大辞泉 ページ 2645