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あしかが‐たかうじ【足利尊氏】‐たかうぢ🔗🔉

あしかが‐たかうじ【足利尊氏】‐たかうぢ一三〇五〜一三五八]室町幕府初代将軍。在職一三三八〜五八。初め高氏と称し、後醍醐天皇の諱(いみな)尊治の一字を賜って改名。元弘の変で六波羅(ろくはら)を攻め落としたが、のち天皇に背き、持明院統(じみよういんとう)の光明天皇を立てて北朝を興した。延元三=暦応元年(一三三八)に征夷大将軍となり、室町幕府を創始。

あしかが‐ただふゆ【足利直冬】🔗🔉

あしかが‐ただふゆ【足利直冬】 南北朝時代の武将。尊氏の子。直義(ただよし)の養子。高師直(こうの もろなお)に追われ九州に逃れたが勢力を回復。直義の死後南朝に帰順。一時入京したが間もなく奪回され、以後中国地方を転々とした。生没年未詳。

あしかが‐ただよし【足利直義】🔗🔉

あしかが‐ただよし【足利直義】一三〇六〜一三五二]南北朝時代の武将。尊氏の弟。尊氏とともに建武の新政に参加したが、のちに不和となり、毒殺された。錦小路殿。

あしかが‐ばくふ【足利幕府】🔗🔉

あしかが‐ばくふ【足利幕府】 室町幕府のこと。

あしかが‐まさとも【足利政知】🔗🔉

あしかが‐まさとも【足利政知】一四三五〜一四九一]室町中期の武将。義教(よしのり)の子。初め天竜寺の僧。足利成氏(しげうじ)征討のため還俗(げんぞく)、伊豆堀越(ほりごえ)(静岡県田方郡)にとどまり、堀越公方と称して古河公方(こがくぼう)成氏と対立。

あしかが‐もちうじ【足利持氏】‐もちうぢ🔗🔉

あしかが‐もちうじ【足利持氏】‐もちうぢ一三九八〜一四三九]室町前期の武将。鎌倉公方(くぼう)。永享一〇年(一四三八)関東管領上杉憲実(うえすぎのりざね)と対立。幕府軍と戦って敗れ、鎌倉で自刃。→永享の乱

あしかが‐もとうじ【足利基氏】‐もとうぢ🔗🔉

あしかが‐もとうじ【足利基氏】‐もとうぢ一三四〇〜一三六七]南北朝時代の武将。尊氏の子。初代の鎌倉公方(くぼう)となり、東国に室町幕府の勢力を確立した。

あしかが‐よしあき【足利義昭】🔗🔉

あしかが‐よしあき【足利義昭】一五三七〜一五九七]室町幕府第一五代将軍。在職一五六八〜七三。初め奈良一乗院に入り覚慶と称したが、還俗(げんぞく)して義秋、のち義昭と改めた。織田信長に擁立されて将軍となったが、のち、信長を討とうとして京都を追われ、室町幕府は滅亡した。諸国を流浪した後、大坂で死去。

大辞泉 ページ 279