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か‐の‐うば【蚊の×姥】🔗🔉

か‐の‐うば【蚊の×姥】 ガガンボの別名。

かのう‐ふくすけ【×叶福助】かなふ‐🔗🔉

かのう‐ふくすけ【×叶福助】かなふ‐ 江戸時代、願い事がかなうといって神棚に祭った福助の人形。→福助

かのう‐ほう【加農砲】‐ハウ🔗🔉

かのう‐ほう【加農砲】‐ハウ 《「カノン」に当てた「加農」を音読みにした語》カノン砲。

かのう‐ほうがい【狩野芳崖】‐ハウガイ🔗🔉

かのう‐ほうがい【狩野芳崖】‐ハウガイ一八二八〜一八八八]日本画家。山口の生まれ。幼名、幸太郎。別号、松隣・勝海など。狩野雅信に学び、狩野派の伝統を受け継ぎ、明治初期、フェノロサに見いだされ、日本画革新運動の強力な推進者となった。東京美術学校創立に尽力。絶筆「悲母観音」は近代日本画の代表作。

かのう‐まさのぶ【狩野正信】🔗🔉

かのう‐まさのぶ【狩野正信】一四三四〜一五三〇]室町中期の画家。伊豆の人。狩野派の祖。師の宗湛(そうたん)の跡を継いで室町幕府の御用絵師となり、水墨画を中心とする漢画と大和絵を使い分け、その現実的で平明な画風が好まれて、狩野派の基礎を築いた。

かのう‐みつのぶ【狩野光信】🔗🔉

かのう‐みつのぶ【狩野光信】一五六一または六五〜一六〇八]安土桃山時代の画家。永徳の子。父の豪壮な画風に対して、大和絵風の優美で叙情的な画風をもって慶長年間に活躍。作品に勧学院の「花鳥図襖」など。

かのう‐もとのぶ【狩野元信】🔗🔉

かのう‐もとのぶ【狩野元信】一四七六〜一五五九]室町後期の画家。正信の子。漢画様式に土佐派大和絵の手法を取り入れて両者の融合を図り、次代の桃山障壁画における狩野派の画風と活躍の基礎を築いた。作品に大徳寺大仙院客殿襖絵の「山水花鳥図」など。

かのう‐もろひら【加納諸平】カナフ‐🔗🔉

かのう‐もろひら【加納諸平】カナフ‐一八〇六〜一八五七]江戸末期の歌人・国学者。遠江(とおとうみ)の人。旧姓、夏目。号、柿園(しえん)。紀伊藩に仕え、「紀伊続風土記」「紀伊国名所図絵」などを編集。著「柿園詠草」など。

大辞泉 ページ 3086