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きたな‐び・る【汚びる・×穢びる】🔗🔉

きたな‐び・る【汚びる・×穢びる】 [動ラ下二]見苦しい、また、卑怯(ひきよう)な振る舞いをする。「―・れて敵に笑はるな」〈太平記・五〉

きたな・む【汚む・×穢む】🔗🔉

きたな・む【汚む・×穢む】 [動マ四]きたないと思う。けがらわしいもの、つまらないものとして嫌い、軽蔑する。「この病者に至りては、厭ひ―・む人のみありて」〈発心集・四〉

きたな‐らし・い【汚らしい・×穢らしい】🔗🔉

きたな‐らし・い【汚らしい・×穢らしい】 [形]きたなら・し[シク]いかにもきたなく見える。いかにもきたない感じである。「しみだらけの―・い壁」

きたの【北野】🔗🔉

きたの【北野】 京都市上京区北西部の地名。北野天満宮がある。名は大内裏の北の野の意。

きた‐の‐かた【北の方】🔗🔉

きた‐の‐かた【北の方】 《寝殿造りで、多く北の対屋(たいのや)に住んだところから》公卿・大名など、身分の高い人の妻を敬っていう語。北の御方(おんかた)。北の台。「三条殿に、殿、―並びておはします」〈宇津保・俊蔭〉北六波羅探題のこと。北殿(きたどの)。「六波羅の―、左近将監仲時」〈太平記・八〉→六波羅探題

きたのしょう【北庄】きたのシヤウ🔗🔉

きたのしょう【北庄】きたのシヤウ 福井市の古称。柴田勝家の居城地。

きた‐の‐じん【北の陣】‐ヂン🔗🔉

きた‐の‐じん【北の陣】‐ヂン 内裏の北の朔平門(さくへいもん)にあった兵衛府(ひようえふ)の陣(詰め所)。また、朔平門の別称。縫殿(ぬいどの)の陣。里内裏(さとだいり)などで、警護の武士の詰め所。また、その詰め所のあった門。

きたの‐じんじゃ【北野神社】🔗🔉

きたの‐じんじゃ【北野神社】 北野天満宮

きた‐の‐たい【北の対】🔗🔉

きた‐の‐たい【北の対】 寝殿造りで、正殿の北にある建物。北の対屋(たいのや)

きた‐の‐だい【北の台】🔗🔉

きた‐の‐だい【北の台】北の方」に同じ。「新田義貞の―の伯父なりしかば」〈太平記・一〇〉

きたの‐てんじん【北野天神】🔗🔉

きたの‐てんじん【北野天神】 北野天満宮

きたのてんじんえんぎ【北野天神縁起】🔗🔉

きたのてんじんえんぎ【北野天神縁起】 菅原道真(すがわらのみちざね)の生涯や死後の怨霊(おんりよう)説話、北野天満宮の由来・霊験を描いた絵巻。鎌倉時代の作。

大辞泉 ページ 3704