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きたの‐まつり【北野祭】🔗🔉

きたの‐まつり【北野祭】 八月四日(もと五日)に行われる京都北野天満宮の祭礼。《季 秋》

きた‐の‐まる【北の丸】🔗🔉

きた‐の‐まる【北の丸】 城の北側の区画。特に、江戸城の北の丸にあった将軍の正妻の居所をいう。

きた‐の‐まんどころ【北の政所】🔗🔉

きた‐の‐まんどころ【北の政所】 摂政・関白の正妻を敬っていう語。のちには、大臣・大納言・中納言の正妻をもいった。特に、豊臣秀吉の正妻の敬称。→高台院(こうだいいん)

きだ‐はし【階・階】🔗🔉

きだ‐はし【階・階】きざはし」に同じ。「―のもとに行きて見れば、履物どもひしと脱ぎたり」〈義経記・三〉

きたばたけ【北畠】🔗🔉

きたばたけ【北畠】 姓氏の一。村上源氏。源通親の孫の中院雅家(なかのいんまさいえ)が洛北北畠に住み改姓。その曾孫の親房(ちかふさ)が南朝の重鎮として活躍。顕能(あきよし)から代々伊勢国守。天正四年(一五七六)具教(とものり)が織田信長に殺されて滅亡。

きたばたけ‐あきいえ【北畠顕家】‐あきいへ🔗🔉

きたばたけ‐あきいえ【北畠顕家】‐あきいへ一三一八〜一三三八]南北朝時代の公卿・武将。親房の長男。陸奥守(むつのかみ)として義良(のりなが)親王を奉じ、奥羽に下向したが、足利尊氏の反乱により西上、尊氏を九州に追った。のち任地に帰ったが、再度上洛の尊氏と戦い、和泉で戦死。

きたばたけ‐あきのぶ【北畠顕信】🔗🔉

きたばたけ‐あきのぶ【北畠顕信】?〜一三八〇]南北朝時代の武将。親房の次男。春日少将と称する。兄顕家の死後、鎮守府将軍となり、父親房と奥羽に転戦。父の帰還後も奥州で戦ったが勝利できず、吉野に帰った。

きたばたけ‐あきよし【北畠顕能】🔗🔉

きたばたけ‐あきよし【北畠顕能】?〜一三八三]南北朝時代の武将。親房の三男。伊勢国守となり、伊勢南軍の総帥。

きたばたけ‐じゅごう【北畠准后】🔗🔉

きたばたけ‐じゅごう【北畠准后】 北畠親房の異称。三后に准じる待遇で、後村上天皇が親房に与えたもの。

きたばたけ‐じんじゃ【北畠神社】🔗🔉

きたばたけ‐じんじゃ【北畠神社】 三重県一志郡美杉村にある神社。祭神は北畠顕能・北畠親房・北畠顕家。

大辞泉 ページ 3705