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あいづ‐じょう【会津城】あひづジヤウ🔗⭐🔉
あいづ‐じょう【会津城】あひづジヤウ
会津若松市にある会津藩松平氏の城。会津戦争の際に列藩同盟の拠点となり、落城。若松城。鶴ヶ城。
あいづ‐せんそう【会津戦争】あひづセンサウ🔗⭐🔉
あいづ‐せんそう【会津戦争】あひづセンサウ
慶応四年(一八六八)、戊辰(ぼしん)戦争の中で、新政府軍と、これに抵抗する奥羽越列藩同盟の中心となった会津藩との戦い。一か月後の九月(明治元年)、会津藩の降服・開城により終結。この間、白虎隊員が自刃した。
あいった【阿逸多】🔗⭐🔉
あいった【阿逸多】
《梵Ajitaの音写》弥勒菩薩(みろくぼさつ)の異称。
あい‐づち【相×槌・相×鎚】あひ‐🔗⭐🔉
あい‐づち【相×槌・相×鎚】あひ‐
鍛冶(かじ)で、二人の職人が交互に槌を打ち合わすこと。あいのつち。
相手の話にうなずいて巧みに調子を合わせること。「聞く人なげに遠慮なき高声、福も―例の調子に」〈一葉・われから〉


相槌を打・つ🔗⭐🔉
相槌を打・つ
相手の話に調子を合わせて、受け答えをする。「友人の主張に―・つ」
あい‐つと・める【相勤める】あひ‐🔗⭐🔉
あい‐つと・める【相勤める】あひ‐
[動マ下一]
あひつと・む[マ下二]「勤める」の改まった言い方。「骨身を惜しまず―・めます」

あいづ‐ぬり【会津塗】あひづ‐🔗⭐🔉
あいづ‐ぬり【会津塗】あひづ‐
会津地方で作られる漆器の総称。天正年間(一五七三〜一五九二)より興り、古くは漆絵による会津盆、現代では消し粉(ふん)蒔絵(まきえ)の日用品を多く産する。


あいづ‐ね【会津嶺】あひづ‐🔗⭐🔉
あいづ‐ね【会津嶺】あひづ‐
磐梯(ばんだい)山の異称。
あいづのうしょ【会津農書】あひづノウシヨ🔗⭐🔉
あいづのうしょ【会津農書】あひづノウシヨ
近世前期の農書。陸奥(むつ)国会津郡幕内村(会津若松市)肝煎(きもいり)佐瀬与次右衛門著。三巻。貞享元年(一六八四)成立。会津地方の農業経営について記録したもの。
あいづ‐の‐こてつ【会津小鉄】あひづ‐🔗⭐🔉
あいづ‐の‐こてつ【会津小鉄】あひづ‐
[一八四五〜一八八五]江戸末期の侠客(きようかく)。本名、上坂仙吉。会津藩主松平容保(まつだいらかたもり)が京都守護職の時、その配下に属して人夫徴集や雑用の請負に当たった。
あいづ‐ばんだいさん【会津磐梯山】あひづ‐🔗⭐🔉
あいづ‐ばんだいさん【会津磐梯山】あひづ‐
磐梯山のこと。会津嶺。会津富士。
会津地方の民謡。もと盆踊り歌で、昭和初期から全国に広まった。


大辞泉 ページ 95。