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ちょうせん‐しゅっぺい【朝鮮出兵】テウ‥🔗⭐🔉
ちょうせん‐しゅっぺい【朝鮮出兵】テウ‥
豊臣秀吉の領土的野心による、2度の朝鮮への侵攻。文禄・慶長の役。日本では朝鮮征伐、朝鮮では壬辰・丁酉の倭乱と呼んだ。
㋐文禄の役。秀吉は明国経略の前提として朝鮮の服属を強要したが拒まれ、1592年(文禄1)加藤清正・小西行長を先鋒に兵15万余を朝鮮へ派遣。初めは連戦連勝し、碧蹄館に明の援軍を破るなどしたが、水軍は朝鮮提督李舜臣の軍に大敗、翌年明使沈惟敬しんいけいとの間に和を講じた。
㋑慶長の役。1596年(慶長1)明皇帝からの書に「爾なんじを封じて日本国王となす」とあるのを見て秀吉は激怒し、翌年再び朝鮮に兵を送ったが、遠征軍の士気揚がらず、98年秀吉の死を機に撤退。
⇒ちょうせん【朝鮮】
広辞苑 ページ 12875 での【朝鮮出兵】単語。