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北野天神縁起     →北野天神縁起🔗🔉

北野天神縁起     →北野天神縁起  王城鎮守の神々おほくましませど、霊験まことにあらたにて、あけのたまかきに再拝せぬ人なかりけり。たゝけばかならずこたへ、あふげばかならずのぞむ。秋月の水にうかぶにことならず。暁の鐘の霜に和するにゝたるかな。あはれめでたき北野宮かな。一人たなごゝろをあはせ、万民かうべをかたぶく。一条院の御宇寛弘元年甲辰十月廿一日辛丑の日、はじめて行幸なりしより、建保のいまにいたるまで、聖主八十二代、つもる月日は二百余歳までになりにけり。そのあいだいづれの人か、天満大自在天神をあをぎたてまつらざる。其むかしをたづぬれば、文道の大祖、風月の本主なり。あるひは天下に塩梅(えんばい)として、帝図を輔導し、或は天上に日月として、国土を照らし給へり。あはれ目出(めでた)かりける権者(ごんじや)の化現かな。  菅原院と申は、菅相公是善の家なり。相公、平生の当初(そのかみ)、かの家の南庭に五六歳ばかりなるおさなき小児のあそびありき給けるを、相公見給ふに、容顔体(たいぼう)たゞ人にあらずとおもひつゝ、「君はいづれの家の子男ぞ。何によりてか来り遊び給ふ」と。小ちご答へ給ふ様(よう)、「させるさだめたる居所もなく、又父もなく母もなし。相公を父とせんとぞ思ひ侍る」と仰らるれば、相公大に悦て、かきいだきかいなでゝ、漸(ようよう)研精(けんせい)せしめ給ければ、天才日(ひに)あらた也。これを菅贈大相国とは申めりと、日記には侍なる。

広辞苑 ページ 24022 での北野天神縁起     →北野天神縁起単語。