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甲陽軍鑑 →甲陽軍鑑🔗⭐🔉
甲陽軍鑑 →甲陽軍鑑
信虎公を追出(ついしゆつ)の事
一、甲州の源符君武田信虎公秘蔵の鹿毛の馬、たけ八寸八分にして、其かんかたち、たとへばむかし頼朝公の生食摺墨にもさのみをとるまじき馬と、近国まで申しならはす名馬なれば、鬼鹿毛と名付け、嫡子勝千代殿所望なされ候所に、信虎公事之外の悪大将にてましませば、子息とても、秘蔵の馬などを相違無く進ぜらるべき御覚悟にて更になし。但し又、嫡子所望をいやと御申し成され候事もならず。先づ始めの御返事には、勝千代殿にて彼馬は似あはず候、来年十四歳にて元服あるべく候間、其時武田重代の義広の御太刀、左文字の刀脇指、廿七代までの御旗楯なし共に、奉るべきよし御返事に候。勝千代殿又重而の御訴訟には、楯なしはそのかみ新羅三郎の御具足、御旗は猶以て八幡太郎義家の御幡也、太刀、刀、脇指は御重代なれば、それは御家督共下さるゝ時分にこそ頂戴仕るべきに、来年元服とても、傍(かたわら)に部屋住の躰にてはいかで請取り申すべきや、馬の儀只今より乗習ひて、一両年の間にいづ方へも御出陣においては、御跡備をくろめ申すべき覚悟にて所望申す処に、右の通りの御意共更に相心得申さず候、と仰越され候へば、信虎公たゞ大方ならぬ狂気人にてましませば、大にいかつて大声上げて仰せられ候は、家督をゆずらんも、それがしの存分をたれ存じ候べき、代々の家に伝はる物ども譲り候はんと申すに、いやならば次郎を我等の惣領に仕り、父の下知につかざる人をば追出してくれ候べし、其時諸国を流浪いたし、我等へ手をさぐる共中々承引申すまじきとて、備前兼光の三尺三寸をぬきはづし、御使の衆を御主殿さして切りはしらかし給ふ。
広辞苑 ページ 24039 での【甲陽軍鑑 →甲陽軍鑑】単語。