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椿説弓張月     →椿説弓張月🔗🔉

椿説弓張月     →椿説弓張月  清和天皇七世(ななせ)の皇孫、鎮守府将軍陸奥守源義家朝臣の嫡孫(ちやくそん)、六条の判官(はんがん)為義の八男、冠者(かんじや)為朝と聞えしは、智勇無双(ぶそう)にして身の丈七尺、豺の目猿の臂(ひじ)、膂力(りよりよく)人に勝れて、よく九石(きゆうせき)の弓を曳(ひき)、矢継早の手煆煉(てだれ)なり。されば天性弓馬の妙奥を極むべき人にやありけん、生れながらにして弓手(ゆんで)の肘(かいな)、馬手(めて)に四寸伸(のび)て、矢束を引(ひく)こと世に超(こえ)つ。幼(いとけな)きよりその見識卓(たか)くして、夥(あまた)の兄(このかみ)にも処(ところ)を置ず、よろづ己(おの)が随意(まにまに)挙動(ふるまい)給ひける。時に近衛院(こんえのいん)の仁和元年、為朝やゝ十三才になり給ひしが、形状(かたち)は尋常(よのつね)の壮夫(ますらお)にも劣らず。久後(ゆくすえ)いかなる事をかなさん、彼はわが児(こ)ながらいと勇々(ゆゆ)しきもの也とて、父為義も生平(つね)に舌を掉(ふるい)て、驚嘆し給ひけるとぞ。

広辞苑 ページ 24086 での椿説弓張月     →椿説弓張月単語。