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日本政記     →日本政記🔗🔉

日本政記     →日本政記  頼襄曰く、我が王国の基(もとい)を成すこと、深く且つ遠しと謂ふ可きか。神武より以前は、得て知るなし。蓋し神明の胤(いん)を以て、累葉徳を積み、西偏に在りと雖も、遐邇(かじ)望を属し、而してこれをここに発するのみ。抑々草昧の世、雄長碁峙(きじ)の時に当りて、能く一挙して海内を定め、海内帖然として以て千万年の業を開くは、天錫の勇智、群倫に首出するに非ざるよりは、烏(いずく)んぞ能くかくの如くならん。諡(おくりな)して神武と曰(い)ふは允(あた)れり。旧志に称す、帝の徳は明達豁如(かつじよ)たりと。帝、新たに諸県を得、これが首長を署(お)くに、皆疇昔(ちゆうせき)の兵を抗し刃を反せし者、仍りてこれを用ひ、変更する所なし。その恩に感じ、力を民に効(いた)し、民も亦たこれに便安(べんあん)すること、知る可きなり。且つそれ敵帥の冢嗣(ちようし)を以てして、既にその降を納(い)るれば、則ちこれに干戈を授け、委ぬるに環衛の任を以てして疑はず。所謂赤心を人の腹中に推すものに非ずや。然りと雖も、効畿を総領し、宮外の兵を典(つかさど)る者は、乃ち勲旧を用ひ、内衛と相制すること、猶ほかの漢の群国の兵を以て宮を衛り、京輔(けいほ)の兵を以て城を衛り、唐の元従の禁軍をして、出でて渭南に屯せしめしがごとし。業を創め統を垂るる者のなす所は、符節を合するが如し。亦た以て明達の一端を見る可し。後世の庸主、毎(つね)に親疎に因りて私に形迹を存し、天下の心を服して禍患の萌を制する能はざるは、皆ここに達せざるものなり。

広辞苑 ページ 24096 での日本政記     →日本政記単語。