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日本霊異記 →日本霊異記🔗⭐🔉
日本霊異記 →日本霊異記
原(たず)ねみれば夫(そ)れ、内経(ないきよう)外書(げしよ)の、日本に伝はりて興り始めし代、凡そ二時有り。皆百済の国より将(も)ち来(きた)る。軽嶋の豊明(とよあきら)の宮に宇御(あめのしたおさ)メタマヒシ誉田(ほんだ)の天皇(すめらみこと)のみ代に外書来り、磯城嶋(しきしま)の金刺(かなざし)の宮に宇御(あめのしたおさ)めたまひし欽明天皇のみ代に内典来(きた)る。然れども外(げ)を学ぶる者は仏法を誹(そし)り、内(ない)を読む者は外典(げてん)を軽みす。愚痴の類(ともがら)は迷執を懐(うだ)き、罪福を信(う)け匪(ず)。深智の儔(ともがら)ハ内外(ないげ)を覯(み)て、因果を信(う)け恐る。唯代々の天皇、或るは高き山の頂に登りて悲心を起し、雨の漏る殿に住みて庶(もろもろ)の民(おおみたから)を撫でたまひ、或るは生まれながらにして高弁、兼ねて未事を委(し)り、一たび十(とたり)の訴(うるたえ)を聞きて一言漏らさ不(ず)。生年二十五にして天皇の請を受けて大乗経を説きたまひ、造れる経疏長(とこしえ)に末代に流(つた)はる。或るは弘誓(くぜい)の願を発(おこ)し、敬(つつ)しみて仏像を造りたまひ、天は願ふ所に随ひ、地は宝蔵を敞(ひら)く。
広辞苑 ページ 24097 での【日本霊異記 →日本霊異記】単語。