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柳橋新誌     →柳橋新誌🔗🔉

柳橋新誌     →柳橋新誌  橋、柳を以て名と為(な)して、一株(しゆ)の柳を植ゑず。旧地誌に云ふ、其の柳原の末に在るを以て命(なづ)くと。而(しか)して橋の東南に一橋あり。傍(かたわら)に老柳一樹あり。人呼んで故柳橋(もとやなぎばし)と為す。或るひと云く、「其の橋柳あれば、則ち往昔(むかし)の柳橋にして、而して今の柳橋は則ち後に架(か)して其の名を奪ふ者」と。其の説、地誌と齬す。按ずるに、故柳橋の正称は難波(なにわ)橋と曰ふ。而して知る者少なし。彼此(ひし)錯考するに、則ち地誌の説当(あた)れるに似たり。  夫(そ)れ柳橋の地は乃(すなわ)ち神田川の咽喉なり。而して両国橋と相距(へだた)る、僅かに数十弓(けん)のみ。故に江都舟楫(しゆうしゆう)の利、斯の地を以て第一と為して、遊舫(やねぶね)・飛舸(ちよき)最も多しと為す。其の南、日本橋・八町渠(ぼり)・芝浦・品川に赴く者、北、浅草・千住(せんじゆ)・墨陀・橋場に向ふ者、東は則ち本所・深川・柳島・亀井戸の来往、西は則ち下谷・本郷・牛篭(うしごめ)・番街(ばんちよう)の出入(しゆつにゆう)、皆此(ここ)を過ぎざる者なく、五街の娼肆(しようし)に遊び、三場(じよう)の演劇(しばい)を観(み)、及び探花(はなみ)・泛月(はんげつ)・納涼・賞雪(しようせつ)の客も、亦皆水路を此に取る。

広辞苑 ページ 24131 での柳橋新誌     →柳橋新誌単語。