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宋書倭国伝     →宋書🔗🔉

宋書倭国伝     →宋書  世祖の大明六年(462)、詔していわく、「倭王世子興、奕世載(すなわ)ち忠、藩を外海に作(な)し、化を稟(う)け境を寧(やす)んじ、恭しく貢職を修め、新たに辺業を嗣ぐ。宜しく爵号を授くべく、安東将軍・倭国王とすべし」と。興死して弟武立ち、自ら使持節都督倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓七国諸軍事、安東大将軍、倭国王と称す。  順帝の昇明二年(478)、使を遣わして表を上(たてまつ)る。いわく、「封国は偏遠にして、藩を外に作(な)す。昔より祖禰(そでい)躬ら甲冑を擐(つらぬ)き、山川を跋渉し、寧処に遑(いとま)あらず。東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を服すること六十六国、渡りて海北を平ぐること九十五国。(中略)」と。詔して武を使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事、安東大将軍、倭王に除す。                                 〈岩波文庫〉

広辞苑 ページ 24137 での宋書倭国伝     →宋書単語。