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平家物語 →平家物語🔗⭐🔉
平家物語 →平家物語
(一)(巻一・
園精舎)
園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰のことはりをあらはす。おごれる人も久しからず、只春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏(ひとえ)に風の前の塵に同じ。遠く異朝をとぶらへば、秦の趙高、漢の王莽(おうもう)、梁の朱异(しゆうい)、唐の禄山、是等は皆旧主先皇の政にもしたがはず、楽みをきはめ、諫(いさめ)をもおもひいれず、天下(てんが)のみだれむ事をさとらずして、民間の愁る所をしらざ(つ)しかば、久しからずして、亡じにし者どもなり。(下略)
(二)(巻一・吾身栄花)吾身の栄花を極(きわむ)るのみならず、一門共に繁昌して、嫡子重盛、内大臣の左大将、次男宗盛、中納言の右大将、三男知盛、三位中将、嫡孫維盛、四位少将、惣じて一門の公卿(くぎよう)十六人、殿上人(てんじようびと)卅余人、諸国の受領、衛府、諸司、都合六十余人なり。世には又人なくぞみえられける。(中略)
日本秋津島は纔(わずか)に六十六箇国、平家知行の国卅余箇国、既に半国にこえたり。其外庄園田畠(でんばく)いくらといふ数を知ず。綺羅充満して、堂上花の如し。軒騎群集(くんじゆ)して、門前市をなす。楊州の金(こがね)、荊州の珠(たま)、呉郡(ごきん)の綾(あや)、蜀江(しよくこう)の錦、七珍万宝一(ひとつ)として闕(かけ)たる事なし。歌堂舞閣の基(もとい)、魚竜爵馬(ぎよりようしやくば)の翫(もてあそび)もの、恐(おそら)くは帝闕(ていけつ)も仙洞(せんとう)も是(これ)にはすぎじとぞみえし。
(三)(巻七・
原落)平家は小松三位中将維盛卿の外は、大臣殿以下妻子を具せられけれ共、つぎざまの人共はさのみひきしろふに及ばねば、後会其期をしらず、皆うち捨ててぞ落行ける。人はいづれの日、いづれの時、必ず立帰るべしと、其期を定めをくだにも久しきぞかし。況や是はけふを最後、只今かぎりの別(わかれ)なれば、ゆくもとゞまるも、たがゐに袖をぞぬらしける。相伝譜代のよしみ、年ごろ日ごろ、重恩争(いかで)かわするべきなれば、老たるもわかきもうしろのみかへりみて、さきへはすゝみもやらざりけり。或(あるいは)磯べの浪枕、やえの塩路に日をくらし、或遠きをわけ、けはしきをしのぎつゝ、駒に鞭うつ人もあり、舟に棹さす者もあり、思ひ
心々におち行きけり。
福原(ふくはら)の旧都について、大臣殿、しかるべき侍共(さぶらいども)、老少数百人めして仰(おおせ)られけるは、「積善(しやくぜん)の余慶家につき、積悪の余殃(よおう)身に及ぶゆへに、神明にもはなたれ奉(たてまつ)り、君にも捨てられまいらせて、帝都をいで旅泊にたゞよふ上は、なんのたのみかあるべきなれ共、一樹の陰にやどるも先世(せんぜ)の契(ちぎり)あさからず。同じ流(ながれ)をむすぶも、多生(たしよう)の縁猶ふかし。いかに況や、汝等は一旦したがひつく門客にあらず、累祖相伝の家人(けにん)也。或近親のよしみ他に異なるもあり、或重代芳恩是ふかきもあり、家門繁昌の古(いにしえ)は恩波によ(っ)て私(わたくし)をかへりみき。今なんぞ芳恩をむくひざらんや。且(かつ(う))は十善帝王、三種の神器を帯してわたらせ給へば、いかならん野の末、山の奥までも、行幸の御供仕(つかまつ)らんとは思はずや」と仰られければ、老少みな涙をながいて申けるは、「あやしの鳥けだ物も、恩を報じ、徳をむくふ心は候なり。申候はむや、人倫の身として、いかゞそのことはりを存知仕候はでは候べき。廿余年の間妻子をはぐゝみ所従をかへりみる事、しかしながら君の御恩ならずといふ事なし。就中に、弓箭馬上に携るならひ、ふた心あるをも(っ)て恥とす。然者(しかれば)則日本の外、新羅(しんら)・百済(はくさい)・高麗(こうらい)・荊旦(けいたん)、雲のはて、海のはてまでも、行幸の御供仕つて、いかにもなり候はん」と、異口同音に申ければ、人々皆たのもし気にぞみえられける。
福原の旧里に一夜をこそあかされけれ。折節秋の始の月は、しもの弓はりなり。深更空夜閑(しずか)にして、旅ねの床の草枕、露も涙もあらそひて、たゞ物のみぞかなしき。いつ帰るべし共おぼえねば、故入道相国の作りをき給ひし所々を見給ふに、春は花みの岡の御所、秋は月見の浜の御所、泉殿・松陰殿・馬場殿、二階の桟敷殿、雪見の御所、萱(かや)の御所、人々の館共(たちども)、五条大納言邦綱卿の承は(っ)て造進せられし里内裏、鴦(おし)の瓦、玉の石だゝみ、いづれも
三とせが程に荒はてて、旧苔道をふさぎ、秋の草門をとづ。瓦に松おひ、墻(かき)に蔦(つた)しげれり。台(うてな)傾きて苔むせり、松風ばかりや通ふらん。簾たえて閨あらはなり、月影のみぞさし入りける。
あけぬれば、福原の内裏に火をかけて、主上をはじめ奉て、人々みな御舟にめす。都を立ちし程こそなけれ共、是も名残はおしかりけり。海人(あま)のたく藻の夕煙(ゆうけぶり)、尾上(おのえ)の鹿の暁のこゑ、渚々によする浪の音、袖に宿かる月の影、千草にすだく蟋蟀のきり
す、すべて目に見え耳にふるゝ事、一として哀(あわれ)をもよほし、心をいたましめずといふ事なし。昨日は東関の麓にくつばみをならべて十万余騎、今日は西海(さいかい)の浪に纜(ともづな)をといて七千余人、雲海沈々として、青天既にくれなんとす。孤島に夕霧隔て、月海上にうかべり。極浦の浪をわけ、塩にひかれて行く舟は、半天(なかぞら)の雲にさかのぼる。日かずふれば、都は既に山川(さんせん)程を隔(へだて)て、雲居のよそにぞなりにける。はる
きぬとおもふにも、たゞつきせぬ物は涙也。浪の上に白き鳥のむれゐるをみ給ひては、かれならん、在原のなにがしの、すみ田川にてこととひけん、名もむつまじき都鳥にやと哀(あわれ)也。寿永二年七月廿五日に平家都を落ちはてぬ。
〈日本古典文学大系〉











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