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三河物語     →三河物語🔗🔉

三河物語     →三河物語  我老人之事ナレバ、夕サリヲ知ラズ。然解(しかるときんば)、只今之時分は、御主様モ、御普代之御内之者ノ筋ヲモ一円ニ御存知なし。猶又、御普代之衆モ、御普代久敷筋目モ知ラズ、三河者ナラバ、カイヱキに御普代之者ト思召ケル間、其立訳(たてわけ)ヲモ子供が知ル間敷事ナレバ、書置なり。此書物ヲ公界ヱ出ス物ナラバ、御普代衆忠節之筋目、又ハ走リ廻リノ事ヲモ、能(よく)穿鑿シテ書くべきガ、是は我子供に我筋ヲ知ラせンタメニ書置事ナレバ、他人之事ヲバ書ズ。其ニよつて、門外不出ト云なり。各々モ家々の御忠節、又ハ走リ廻リノ筋目、又ハ御普代之筋目之事書シルシテ、子供立(達)え御譲成さるべく候。我等モ我一類の事ヲ、此くの如く書て子供に渡ス。夢々門外不出(に)有るべきなり。以上。  (下)(上略)御普代衆を悪しく成され候うことハ、上様之御失墜を御存知なきなり。清康様・家康様などハ、御普代之者を大切に思召て、「弓矢八満(幡)、普代之者一人にハ、一郡にハかへまじき」と御意成されける間、涙を流して「忝し」と申てかせぎけるが、只今ハ御普代之者を御存知なきとて、涙を流しける。裏と表の涙なり。是迄ハ、何れも御忠節成され候う御普代衆、又ハ我々共の儀なり。  さて又、子共(供)どもよく聞け。此書付ハ、後之世に汝共が御主様の御由来をも知らず、大久保一名之御普代久敷をも知らず、大久保一名之御忠節をも知らずして、御主様へ御不奉公あらんと思ひて、三帖の物の本に書記すなり。  何れも、大久保共ほどの御普代衆ハあまた候う間、別之衆之事ハ、是にハ書置くまじけれ共、筆の序でにあら書置くなり。各々のハ定て、其家々にて書置かるべけ(れ)バ、我々ハ我が家之筋を詳しく書置くなり。  まづ御地(知)行下されずとても、御主様に御不足に思ひ申な。過去の生合なり。然とハ云共、地(知)行を必ず取事ハ五つあれ共、此の如くに心を持ちて地行を望むべ(か)らず。又、地行をゑ取らざる事も五つあれ共、是をバなを、飢(かつ)へて死する共、此心持を持つべきなり。  第一に地行を取事、一にハ、主に弓を引、別儀・別心をしたる人ハ、地行をも取、末も栄へ、孫子迄も盛ると見へたり。二つにハ、あやかりをして、人に笑われたる者が、地行を取と見へたり。三つにハ、公儀をよくして、御座敷之内にても立廻り之よき者が、地行を取と見へたり。四にハ、算勘のよくして、代官身形(みなり)之付たる人が、地行を取と見へたり。五つにハ、行方もなき他国人が、地行をバ取と見へたり。然共、地行を望ミて、夢々此心持つべからず。(中略)  電光朝路(露)、石火之ごとくなる夢之世に、何と渡世を送れバとて、名にハかへべきか。人ハ一代、名ハ末代なり。  子共(供)ども、よく聞け。相国様迄ハ、一名之者共をバ御念比(ねんごろ)に仰されつるに、只今ハ、何の御咎によりて、大久保一名之者共ハ、肩身をすくめ城下を立て歩き申事、さら不審晴れ申さず。                             〈日本思想大系26〉

広辞苑 ページ 24179 での三河物語     →三河物語単語。