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大日本史賛藪 →大日本史🔗⭐🔉
大日本史賛藪 →大日本史
新田義貞伝の賛 巻の一百七十一
賛に曰く、忠義の、世教を維持すること、大なり。新田義貞は、源家の冑を以て、北条氏に役するも、一旦、幡然として図(と)を改め、王室を安んぜんと欲す。義旗の嚮(むか)ふ所、葉のごとく落ち、氷のごとく離(と)く。何ぞ其れ易きや。足利尊氏と難を構ふるに及び、攻城・野戦、互ひに勝負有れども、竟に敗衄(はいじく)を免れず。何ぞ其れ難きや。蓋し、政刑、日に紊れ、人心、乱を思ひ、尊氏之に乗じて、其の詐力を逞しくせるに由るなり。嚮使(もし)、後醍醐帝、能く楠正成の夾攻の策を用ふれば、則ち義貞、其の材略を展ぶるを得て、尊氏の勢、日々に蹙(せま)りしならん。禁門、守られず、乗輿再び叡岳に幸す。尊氏、款を納れて、還駕を請ふ。帝も亦、心に、其の姦計に堕つるを知るも、勢、回すこと能はず。興替の機、方(まさ)に此に決す。而して義貞を面諭して、其の忠義を奨め、託するに皇太子を以てするは、頼るに此の挙有るのみ。義貞の匡復の心、少しくも解弛せず、天地に誓ひて以て心と為し、鬼神に質(ただ)して疑ひ無し。不幸にして、勢去り、時、利あらず、智勇倶(とも)に困(きわま)り、之に継ぐに死を以てす。其の子姪、皆能く戈を枕にし胆を嘗(な)め、屡々勤王の師を興すも、卒に摧残・流亡に帰す。豈、天に非ずや。其の高風・完節に至りては、当時に屈すと雖も、能く後世に伸ぶ。天果して忠賢を佑けざらんや。其の、足利氏と雄を争ふを観れば、両家の曲直、赫々として人の耳目に在り。愚夫愚婦と雖も、亦能く、新田氏の忠貞たるを知る。寧ろ此を為すとも、彼を為さず。亦、人をして邪正を弁じ取舎を決して、義に嚮ふことを知らしむるに足る。其の関係する所、豈、鮮少ならんや。
〈日本思想大系48〉
広辞苑 ページ 24182 での【大日本史賛藪 →大日本史】単語。