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翁問答 →翁問答🔗⭐🔉
翁問答 →翁問答
(一)○1 体充(たいじゆう)問曰、人間の心だてさま
ありて、をこなふところその品おほし。其うちに是非混乱して、いづれにしたがふべしともおぼえず。人間一生涯、いづれの道をか受用の業(わざ)と仕るべく候や。
師の曰、われ人の身のうちに、至徳要道といへる天下無双の霊宝あり。このたからを用て、心にまもり身におこなふ要領とする也。(中略)元来名はなけれども、衆生にをしへしめさんために、むかしの聖人、その光景をかたどりて孝となづけ給ふ。(中略)孝徳の感通をてぢかくなづけいへば、愛敬の二字につゞまれり。愛はねんごろにしたしむ意なり。敬は上をうやまひ、下をかろしめあなどらざる義也。(下略)礼義たゞしく臣下をあいけいするを仁となづく。よくをしへて子を愛敬するを慈となづく。和順にして兄(このかみ)を愛敬するを悌(てい)となづく。善をせめて弟をあいけいするを恵となづく。
(二)○104(前略)かくのごとくなる孝徳全体の天真を明にする工夫を全孝の心法と云なり。全孝の心法、その広大高明なること、神明に通じ六合にわたるといへども、約(つづまる)ところの本実は身をたて道を行にあり。身をたて道をおこなふ本は明徳にあり、明徳を明にする本は良知を鏡として独を慎(つつしむ)にあり。良知とは赤子孩提の時よりその親を愛敬する最初一念を根本として、善悪の分別是非を真実に弁しる徳性の知を云。この良知は磨而不磷涅而不緇(ますれどもうすろがずそむれどもしかもくろまざる)の霊明なれば、いかなる愚痴不肖の凡夫心にも明にあるものなり。しかる故に此良知を工夫の鏡とし種として工夫するなり。大学の致知格物の工夫これなり。(下略)
〈日本思想大系29〉


広辞苑 ページ 24183 での【翁問答 →翁問答】単語。