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読史余論 →読史余論🔗⭐🔉
読史余論 →読史余論
一、本朝天下の大勢、九変して武家の代となり、
武家の代また五変して当代におよぶ総論の事
神皇正統記に、光孝より上(かみ)つかたは一向上古也、万の例(ためし)を勘ふるも、仁和より下つかたをぞ申める。
五十六代清和、幼主にて、外祖良房、摂政す。是、外戚専権の始。〈一変〉
基経、外舅の親によりて陽成を廃し光孝を建しかば、天下の権、藤氏に帰す。そののち関白を置き或は置ざる代ありしかど、藤氏の権、おのづから日々盛也。〈二変〉(中略)
後醍醐重祚、天下朝家に帰する事纔三年。〈八変〉
そののち天子蒙塵。尊氏、光明をたてゝ共主となしてより、天下ながく武家の代となる。〈九変〉
武家は、源頼朝、幕府を開て、父子三代天下兵馬の権を司どれり。凡三十三年。〈一変〉
平義時、承久の乱後、天下の権を執る。そののち七代凡百十二年、高時が代に至て滅ぶ。〈二変〉
後醍醐中興ののち、源尊氏反して天子蒙塵。尊氏、光明院を北朝の主となして、みづから幕府を開く。子孫相継て十二代におよぶ。凡二百卅八年。〈三変〉
足利殿の末、織田家勃興して将軍を廃し、天子を挟みて天下に令せんと謀りしかど、事未だ成らずして、凡十年がほど、其臣光秀に弑せらる。豊臣家、其故智を用ひ、みづから関白となりて天下の権を恣にせしこと、凡十五年。〈四変〉
そののち終に当代の世となる。〈五変〉
謹按、鎌倉殿天下の権を分たれし事は、平清盛武功によりて身を起し、遂に外祖の親をもて権勢を専にせしによれり。清盛かくありし事も、上は上皇の政みだれ、下は藤氏累代権を専にせしに倣ひしによれる也。されば、王家の衰し始は、文徳、幼子をもてよつぎとなされしによれりとは存ずる也。尊氏天下の権を恣にせられし事も、後醍醐中興の政、正しからず、天下の武士、武家の代をしたひしによれる也。尊氏より下は、朝家はたゞ虚器を擁せられしまゝにて、天下はまつたく武家の代とはなりたる也。
〈日本思想大系35〉
広辞苑 ページ 24188 での【読史余論 →読史余論】単語。