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日本外史     →日本外史🔗🔉

日本外史     →日本外史  〔楠氏論賛〕 外史氏曰く、余(わ)れ数々(しばしば)摂播の間を往来し、所謂る桜井駅なる者を訪ひ、これを山崎路に得たり。一小村のみ。過ぐる者或は其の駅址たるを省せず。蓋し足利・織・豊の数氏を経て、世故変移し、道里駅程、従つて輒(すなわ)ち改れるのみ。余れここにおいて、低回して去る能はず。金剛山の雲際に嶷立するを顧望し、公の義を挙ぐるの秋(とき)、及びその子孫の拠つて以て王室を扞護(かんご)せしを想見するなり。公の行在(あんざい)に詣(いた)つて、天子に対(こた)ふるを観るに、曰く、「臣にして未だ死せずんば、賊の滅びざるを患(うれ)へざれ」と。夫れ一兵衛尉を以てして、居然、天下の重きを以て自ら任ず。豈(あ)に値遇に感激し、身を以て国に許せるに非ずや。故に能く赤手を以て江河を障(ささ)へ、天日を既に墜つるに回す。何ぞ其れ壮なるや。公、北条氏の精鋭を一城の下に聚め、新田・足利の属をして、その空虚を擣き、以てその渠魁を殪さしむ。帝の復辟するや、爵を酬い職に任ずる、宜しく公を以て首となすべし。而るに纔に能く結城・名和の輩と肩を比せしむ。其の挙措を失する、以て中興の成るなきを知るに足る。足利氏の叛くに及び、朝廷、方に新田氏に倚つて重きをなす。公は特(た)だ偏裨(へんぴ)に充てられ、その駆使に供せらる。亦たその門地の若かざるあるを以てのみ。然れども京師の大捷、殆んど掃殄(そうてん)を致しし者は、公の策に因るに非ずや。嚮(さき)に帝をして其の新田氏に任ずる所の者を以て、以て公に任ぜしめんか、曷(な)んぞ犬羊狐鼠の賊をして、吾が朝廷を蹂践(じゆうせん)せしむるに至らんや。然れどもその死に臨んで、子を戒むるを観るに、また曰く、「吾れ死せば、天下悉く足利氏に帰せん」と。夫れ天下の為すべからざるを知り、而も猶ほその子孫を留めて、以て天子を衛らしむ。其の心を設くる、古の大臣と雖も、何を以て遠く過ぎん。故に子孫能くその遺訓を守り、正統の天子を弾丸黒子の地に護り、以て四海の寇賊を防ぐこと、三朝五十余年の久しきに及び、一門の肝脳を挙げて、諸(これ)を国家の難に竭(つく)す。その澌尽(しじん)灰滅するに至り、而る後に、足利氏始めて大にその志を天下に成すを得たり。蓋し朝廷大に楠氏に任ずる能はずして、楠氏の自ら任ずる所以は、以て加ふるなし。世の中興の諸将を論ずるもの、尚ほその資望の大小を視て、深くその実を揆(はか)らざるは、亦た当時の見と等しきのみ。楠氏あらずんば、三器ありと雖も、将(は)た安(いず)くに託して、以て四方の望を繋がんや。笠置の夢兆、ここにおいて益々験あり。而るに南風競はず。倶に傷き共に亡び、終古以てその労を恤(あわれ)むなし。悲しいかな。抑々正閏は殊(こと)なりと雖も、卒(つい)に一に帰し、能く鴻号を無窮に煕(ひろ)む。公をして知るあらしめば、亦た以て瞑すべし。而してその大節は巍然として山河と並び存し、以て世道人心を万古の下に維持するに足る。これを姦雄迭(たがい)に起り、僅に数百年に伝ふる者に比すれば、その得失果して何如ぞや。                         〈岩波文庫〉

広辞苑 ページ 24208 での日本外史     →日本外史単語。