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勝海舟日記 →勝海舟🔗⭐🔉
勝海舟日記 →勝海舟
○二月十一日
君上新に命ぜられし総裁を召て東台へ御移居、御謹慎之れ有るべき御旨を承る。(中略)
嗚呼、人倫の大変に当て、上三家三卿を初、井伊・榊原・酒井の輩、何の面目有てか私営を先きんじ、主家に尽力するの薄きや。小臣、頗る憤に堪へずといへども、能く思惟すれば其いわれ無きにあらず。百年にして公評定る。今果た何をか云はむ。(下略)
○十月廿三日
臣此時上言云く、凡興廃存亡は気数に関す、亦人力の能くすべき所にあらず。今若戦に決せば、上下唯一死を期す而已。臣軍艦を督して駿州の海浜に出で、上岸、二三百の兵を以て官兵を拒ぎ候ば、我兵衆寡敵せず一敗せん。其敗に乗じて敵兵清見ケ関近傍に逼らば、軍艦を進めて横に是れを攻撃せむ歟、極めて敵を破ること必せり。即時我が兵を増して接戦し、艦より敵の中央を破らば、反掌の時間、必勝せんこと疑なかるべし。此機に乗じ関東の士気弥奮はゞ、直に海道の味方を督責し、火を放ちて敵の来往を妨ぐべし。然らん後は、軍艦三艘を率ひて摂海に乗入り、西国・中国の海路を絶て、しばらく天下の変を伺はむ歟。総督兵敗走せば、他二道の官兵施す策を失はむ。また上国海路をたゝれて運送自由を得ざる時は、如何ぞ、他に策を行はるべき哉。然れども是より天下瓦解し、九州の侯伯、英国に通じて其志を逞くせんとするは、実に其行く処を知らず。然らずして、天怒を恐れ、天裁を仰ぎて、順々として条理を踏まんと欲せば、至難重り到り、終にまた其終る処を知らず。唯臣等君上の御決心を拝承して、一死を以て奉ずべきなりと。
凡関東の士気、唯一朝の怒に其身を忘れ、従容として大道を踏む人に乏敷、況哉策を帷幕に廻らし、必勝を未前に察する者を聞かず。且、戦を主張する者は、一時潔きに似て算なし。上国の士等、旧歳已来の所置を考れば、所謂逆にとりて順に守るの風あり、亦我を激して其策に陥らしむ策多くして、先勝後に戦ふ歟。伏見の一挙、薩士三百五十名に過ぎず、長人三百余名、其他は勝敗を見て進退を決するの徒なり。我兵壱万五六千名、一敗塗地(ちにまみれ)、死を以て国に報ずる時なし。関東の士官、何ぞ其略無き哉。
今、彼大勝に乗じて猛勢当るべからず、天子を護して群衆に号令す。尋常の策の如きは其敵する所にあらず。我今至柔を示して之に報ずるに誠意を以てし、城渡すべく、土地納むべし。天下の公道に処して其興廃を天に任せんには、彼また是を如何せむ哉。
然りといへども、此事至難にして容易(たやす)く行べからず。故に申て云ふ、君上の御決意確乎不抜に出ざれば、臣等の方向定まるべからざるなり。万にして此事成らば、下民心服すべく、天下響応すべく、我徳川氏の政、中興にして革命の業成るべし。而後、上天朝に対し、下万民に向て、其職を辱めざるべし。是此機に乗じて従前の汚辱を一新すべきの時歟。崇論高議して空敷時日を消すべきは不可ならむ歟、云々。(下略)
〈日本思想大系56〉
広辞苑 ページ 24217 での【勝海舟日記 →勝海舟】単語。