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野菊の墓 →伊藤左千夫🔗⭐🔉
野菊の墓 →伊藤左千夫
後の月という時分が来ると、どうも思わずにはいられない。幼いわけとは思うが何分にも忘れることができない。もう十年余も過ぎ去った昔のことであるから、細かい事実は多くは覚えていないけれど、心持ちだけは今なお昨日(きのう)のごとく、その時の事を考えてると、全く当時の心持ちに立ち返って、涙が留めどなくわくのである。悲しくもあり楽しくもありというような状態で、忘れようと思う事もないではないが、むしろ繰り返し繰り返し考えては、夢幻的の興味をむさぼっている事が多い。そんなわけからちょっと物に書いておこうかという気になったのである。
僕の家というは、松戸から二里ばかり下がって、矢切の渡を東へ渡り、小高い岡の上でやはり矢切村と言ってる所。矢切の斎藤といえば、この界隈での旧家で、里見の崩れが二、三人ここへ落ちて百姓になったうちの一人が斎藤と言ったのだと祖父から聞いている。屋敷の西側に一丈五、六尺も回るような椎の木が四、五本重なり合って立っている。村一番の忌森(いもり)で村じゅうからうらやましがられている。昔から何ほど暴風が吹いても、この椎森のために、僕の家ばかりは屋根を剥がれたことはただの一度もないとの話だ。
広辞苑 ページ 24302 での【野菊の墓 →伊藤左千夫】単語。