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余は如何にして基督教徒となりし乎 →内村鑑三🔗⭐🔉
余は如何にして基督教徒となりし乎 →内村鑑三
余は、グレゴリー暦によれば、一八六一年三月二三日に生れた。余の家は武士階級に属していた、それゆえに揺籃の中からして余の生れたのは戦うため、――生くるは戦うなり(vivere estmilitare)――であった。余の父方の祖父は、全身これ武士であった。彼は竹の弓、雉(きじ)の羽の矢、五十ポンド火縄銃でよそおった重々しい武具をつけて現れる時ほど幸福なことはなかった。彼は国土が平和であることを嘆き、自分の家業を実際に用いることができなかったことを遺憾として死んだ。余の父はもっと教養があり、りっぱな詩を作ることができ、人を統率する術に長じていた。彼もまたなみなみならぬ軍事的能力のある人であって、はなはだ騒然たる一部隊をあっぱれな手際で指揮することができた。――母方では、余の祖父は本質的に正直者であった。この輝かしい利己主義時代に正直が一つの才能と称され得るならば、じつに彼には正直のほかにはわずかの才能しかなかった。
広辞苑 ページ 24309 での【余は如何にして基督教徒となりし乎 →内村鑑三】単語。