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きた‐しちだゆう【喜多七大夫】‥ダイフ🔗🔉

きた‐しちだゆう喜多七大夫‥ダイフ 能の喜多流家元の通り名。初代は江戸初期の能役者。名は長能。堺の医師内堀道春の子。幼少から能をよくし七ツ大夫と呼ばれ、金剛大夫弥一の養子となり、一時、金剛七大夫を名のる。豊臣秀吉に仕え、大坂落城後引退したが復帰し、金剛座を離れて独自に活動、四座の大夫をしのぐ活躍を見せ、徳川秀忠の後援を背景に特に一流創設を許された。(1586〜1653) ⇒きた【喜多】

広辞苑 ページ 4826 での喜多七大夫単語。