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ちょう‐そう【朝宗】テウ‥🔗🔉

ちょう‐そう朝宗テウ‥ ①古く中国で、諸侯が天子に朝覲ちょうきんすること。 ②多くの河川が海に集まり注ぐこと。

ちょう‐そう【牒送・牒奏】テフ‥🔗🔉

ちょう‐そう牒送・牒奏テフ‥ 牒状を送って知らせること。通牒。

ちょう‐そう【調桑】テウサウ🔗🔉

ちょう‐そう調桑テウサウ 養蚕で、蚕の発育に見合う大きさにクワの葉を刻む作業。→剉桑ざそう

ちょう‐ぞう【彫像】テウザウ🔗🔉

ちょう‐ぞう彫像テウザウ 彫刻した像。

ちょう‐ぞう【肇造】テウザウ🔗🔉

ちょう‐ぞう肇造テウザウ はじめて造ること。創造。

ちょうそう‐き【調相機】テウサウ‥🔗🔉

ちょうそう‐き調相機テウサウ‥ 電力系統の電圧を調整するために無効電力を調整する装置。

ちょう‐そうよう【張僧繇】チヤウ‥エウ🔗🔉

ちょう‐そうよう張僧繇チヤウ‥エウ 梁の武帝の宮廷画家で、六朝三大家の一人。すぐれた筆力で事物の真を写し、西方伝来の色のぼかしによって立体感を表現したので、その描く花は「凹凸花」と称せられた。→画竜点睛がりょうてんせい

ちょうそかべ【長宗我部・長曾我部】チヤウ‥🔗🔉

ちょうそかべ長宗我部・長曾我部チヤウ‥ 姓氏の一つ。秦河勝はたのかわかつの子孫と伝える。平安末・鎌倉初め頃土佐国長岡郡宗部郷(高知県南国市)に移り、地名をとって姓としたという。 ⇒ちょうそかべ‐し‐おきてがき【長宗我部氏掟書】 ⇒ちょうそかべ‐もとちか【長宗我部元親】 ⇒ちょうそかべ‐もりちか【長宗我部盛親】

ちょうそかべ‐し‐おきてがき【長宗我部氏掟書】チヤウ‥🔗🔉

ちょうそかべ‐し‐おきてがき長宗我部氏掟書チヤウ‥ 土佐の長宗我部氏の分国法。1597年(慶長2)頃元親・盛親父子の制定。分国法中、最も新しく、完備する。長宗我部元親百箇条とも。 ⇒ちょうそかべ【長宗我部・長曾我部】

ちょうそかべ‐もとちか【長宗我部元親】チヤウ‥🔗🔉

ちょうそかべ‐もとちか長宗我部元親チヤウ‥ 戦国時代の武将。土佐の大名。宮内少輔と称。国親の子。一条家を追放して土佐一国を支配、のち四国全体を統一したが、豊臣秀吉に降伏、土佐一国の領有を許される。秀吉の九州平定および文禄・慶長の役に出兵。長宗我部氏掟書を定めた。(1539〜1599) ⇒ちょうそかべ【長宗我部・長曾我部】

広辞苑 ページ 12880