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みなもと‐の‐しげゆき【源重之】🔗🔉

みなもと‐の‐しげゆき源重之】 平安中期の歌人。三十六歌仙の一人。左馬助・相模権守。旅の歌人で、冷泉天皇が東宮のときに帯刀先生たちはきせんじょうとして奉った百首は現存する最古の百首歌。家集「重之集」。( 〜1000頃) ⇒みなもと【源】

みなもと‐の‐したごう【源順】‥シタガフ🔗🔉

みなもと‐の‐したごう源順‥シタガフ 平安中期の歌人・学者。三十六歌仙の一人。梨壺の五人の一人として後撰集の撰に当たり、また万葉集訓釈(古点)のことに従った。著「倭名類聚鈔」、家集「順集」。(911〜983) ⇒みなもと【源】

みなもと‐の‐たかあきら【源高明】🔗🔉

みなもと‐の‐たかあきら源高明】 平安中期の貴族。醍醐天皇の皇子。左大臣。西宮左大臣と称される。969年右大臣藤原師尹もろただらのため大宰権帥に左遷され(安和の変)、のち赦されて帰洛。著「西宮記」。(914〜982) ⇒みなもと【源】

みなもと‐の‐たかくに【源隆国】🔗🔉

みなもと‐の‐たかくに源隆国】 平安中期の貴族。世に宇治大納言と称す。皇后宮大夫・権大納言となり、病を得て出家。(1004〜1077)→宇治大納言物語⇒みなもと【源】

みなもと‐の‐ためとも【源為朝】🔗🔉

みなもと‐の‐ためとも源為朝】 平安末期の武将。為義の8男。豪勇で、強弓をもって名高い。九州に勢力を張り、鎮西八郎と称す。保元の乱には崇徳上皇方につき、敗れて伊豆大島に流罪。のち、工藤茂光の討伐軍と戦って自殺。(1139〜1170)→椿説弓張月⇒みなもと【源】

みなもと‐の‐ためのり【源為憲】🔗🔉

みなもと‐の‐ためのり源為憲】 平安中期の学者・漢詩人。その詩は「本朝文粋」に、歌は「拾遺和歌集」などに収める。著「口遊くちずさみ」「三宝絵詞」「世俗諺文」など。( 〜1011) ⇒みなもと【源】

広辞苑 ページ 18932