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こうらく【恋ふらく】コフラク🔗🔉

こうらく恋ふらくコフラク (恋フのク語法)恋い慕うこと。万葉集14「―は富士の高嶺の鳴沢のごと」

こう‐らく【行楽】カウ‥🔗🔉

こう‐らく行楽カウ‥ 野や山に出かけて楽しみ遊ぶこと。「絶好の―日和びより」「―客」 ⇒こうらく‐ち【行楽地】

こう‐らく【攻落】🔗🔉

こう‐らく攻落】 せめおとすこと。

こう‐らく【後楽】🔗🔉

こう‐らく後楽】 [范仲淹、岳陽楼記「天下の楽しみに後れて楽しむ」]人々の楽しみにおくれて楽しむこと。→先憂後楽

こう‐らく【黄落】クワウ‥🔗🔉

こう‐らく黄落クワウ‥ 木の葉または果実が黄ばんで落ちること。〈[季]秋〉。日葡辞書「サウモククヮウラク」

こうらく‐えん【後楽園】‥ヱン🔗🔉

こうらく‐えん後楽園‥ヱン ①東京都文京区にある、もと水戸家上屋敷内の庭園。1629年(寛永6)藩祖頼房が起工、明暦の大火で焼け、2代光圀によって69年(寛文9)頃完成。一部現存し指定名勝史跡。周囲には屋根付きの野球場・プール・遊園地などがある。 ②岡山市にある公園。貞享・元禄(1684〜1704)年間、藩主池田綱政の創設。旭川を隔てて岡山城址と対する。回遊式庭園の典型。金沢の兼六園、水戸の偕楽園とともに日本三名園の一つ。 ⇒こうらくえん‐やき【後楽園焼】

こうらくえん‐やき【後楽園焼】‥ヱン‥🔗🔉

こうらくえん‐やき後楽園焼‥ヱン‥ 江戸時代に後楽園1で焼いた、水戸徳川家累代の御庭焼。宝暦(1751〜1764)の頃に5代藩主宗翰むねもとが始めたもので、主として楽焼を焼成。 ⇒こうらく‐えん【後楽園】

こうらくじ‐りゅう【康楽寺流】カウ‥リウ🔗🔉

こうらくじ‐りゅう康楽寺流カウ‥リウ 鎌倉後期に成立した信濃康楽寺の浄賀(1275〜1356)を祖とする絵仏師の流派。「親鸞聖人伝絵」をはじめ浄土真宗関係の絵を描く。15世紀末頃まで続いた。

こうらく‐ち【行楽地】カウ‥🔗🔉

こうらく‐ち行楽地カウ‥ 景勝地や観光施設などがあり、行楽に適した場所。 ⇒こう‐らく【行楽】

広辞苑 ページ 6827