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そが【曾我】(姓氏)🔗⭐🔉
そが【曾我】🔗⭐🔉
そが【曾我】
(零落した曾我兄弟像に基づく造語)貧乏をいう俗語。そが殿。鶉衣「もとより―の内証にして、いとなみととなふにわびしければなり」
そがかいけいざん【曾我会稽山】‥クワイ‥🔗⭐🔉
そがかいけいざん【曾我会稽山】‥クワイ‥
浄瑠璃。近松門左衛門作の時代物。1718年(享保3)初演。曾我兄弟の仇討を中心とする各場面を1日間の出来事として構成。
そが‐きょうげん【曾我狂言】‥キヤウ‥🔗⭐🔉
そが‐きょうげん【曾我狂言】‥キヤウ‥
曾我兄弟の仇討に取材した歌舞伎狂言。18世紀初め以来江戸では初春狂言は曾我狂言と定まっていた。→曾我物
そが‐じゃそく【曾我蛇足】🔗⭐🔉
そが‐じゃそく【曾我蛇足】
(名はダソクとも)室町後期の画家。大徳寺真珠庵の山水図襖絵などの作者と伝称されるが、伝記は不明。一説に、一休宗純に参禅した画家夫泉宗丈(曾我式部)のことという。
⇒そが【曾我】
そが‐しょうはく【曾我蕭白】‥セウ‥🔗⭐🔉
そが‐しょうはく【曾我蕭白】‥セウ‥
江戸中期の画家。京都に生まれ、一時期、伊勢地方を遊歴。名は暉雄てるお。曾我蛇足の画風を慕って蛇足軒とも号す。自由奔放で奇抜な画風で知られる。作「寒山拾得図」。(1730〜1781)
⇒そが【曾我】
そが‐すけなり【曾我祐成】🔗⭐🔉
そが‐すけなり【曾我祐成】
鎌倉初期の武士。伊豆の豪族河津祐泰の子。幼名は一万。十郎と称。5歳の時に父が工藤祐経に殺され、母満江は曾我祐信に再嫁し、曾我姓を名のる。弟時致と共に富士の裾野の狩場で父の仇を討ち、後に殺された。(1172〜1193)
⇒そが【曾我】
そが‐ちょくあん【曾我直庵】🔗⭐🔉
そが‐ちょくあん【曾我直庵】
桃山時代の画家。伝記不明。晩年に堺に住し慶長年間に没したという。漢画を基礎とした個性の強い作品を残す。作「商山四皓・虎渓三笑図屏風」。その子は二直庵といい、江戸初期に活躍。
⇒そが【曾我】
そが‐ときむね【曾我時致】🔗⭐🔉
そが‐ときむね【曾我時致】
鎌倉初期の武士。河津祐泰の子。祐成すけなりの弟。幼名は箱王。五郎と称。(1174〜1193)
⇒そが【曾我】
そが‐の‐あめ【曾我の雨】🔗⭐🔉
そが‐の‐あめ【曾我の雨】
曾我兄弟仇討の旧暦5月28日に降るという雨。虎が雨。虎少将の涙雨。
そがのたいめん【曾我の対面】🔗⭐🔉
そがのたいめん【曾我の対面】
歌舞伎脚本。曾我狂言で、曾我兄弟と敵の工藤祐経とが初めて顔を合わせる場面。江戸では毎年正月、これを演ずる慣習があった。
そがのや‐げき【曾我廼家劇】🔗⭐🔉
そがのや‐げき【曾我廼家劇】
1904年(明治37)曾我廼家十郎(1869〜1925)・五郎(1877〜1948)が創立した日本最初の喜劇。
そが‐は【曾我派】🔗⭐🔉
そが‐は【曾我派】
①室町時代の画派。大徳寺を本拠とし、越前朝倉氏に仕える。
②曾我直庵を祖とする一派。
そが‐まつり【曾我祭】🔗⭐🔉
そが‐まつり【曾我祭】
江戸歌舞伎で、恒例の春狂言の曾我物が大当りして5月まで継続興行した場合、曾我兄弟討入りの5月28日に行われた祭礼行事。
そが‐もの【曾我物】🔗⭐🔉
そが‐もの【曾我物】
曾我兄弟の事跡を題材とした能・人形浄瑠璃・歌舞伎などの演目の総称。「元服曾我」「小袖曾我」「草摺引」「矢の根五郎」「鬼王貧家」「対面」「夜討曾我」の類。→曾我狂言
そがものがたり【曾我物語】🔗⭐🔉
そがものがたり【曾我物語】
軍記物語。12巻(真字本10巻)。作者は僧か。原作は鎌倉時代に成るか。曾我兄弟の生い立ちから敵討に至る次第を叙したもの。愛読され後代に大きな影響を与えた。
→文献資料[曾我物語]
そがもようたてしのごしょぞめ【曾我綉侠御所染】‥モヤウ‥🔗⭐🔉
そがもようたてしのごしょぞめ【曾我綉侠御所染】‥モヤウ‥
歌舞伎脚本。河竹黙阿弥作。→御所の五郎蔵
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