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ささら‐がわ【細川】‥ガハ🔗🔉

ささら‐がわ細川‥ガハ さらさらと流れる小川。 ⇒ささ‐ら【細】

ほそ‐かわ【細川】‥カハ🔗🔉

ほそ‐かわ細川‥カハ ほそい川。小川。

ほそかわ‐かつもと【細川勝元】‥カハ‥🔗🔉

ほそかわ‐かつもと細川勝元‥カハ‥ 室町時代の武将。3回にわたって管領となり、将軍足利義政の継嗣、畠山家の内紛にからんで応仁の乱を起こし、東軍の主将として西軍の山名宗全と争った。竜安寺を創建。(1430〜1473) ⇒ほそかわ【細川】

ほそかわ‐がみ【細川紙】‥カハ‥🔗🔉

ほそかわ‐がみ細川紙‥カハ‥ 和紙の一種。主に帳簿などに用いる大判の楮こうぞ紙。埼玉県比企郡小川町産。もと紀伊国細川村で産出。はしきらず。

ほそかわ‐ガラシヤ【細川ガラシヤ】‥カハ‥🔗🔉

ほそかわ‐ガラシヤ細川ガラシヤ‥カハ‥ (ガラシヤはラテン語のGratiaの訛)細川忠興の妻。明智光秀の女むすめ。キリシタン信者。関ヶ原の戦で石田三成挙兵に際し、人質として大坂城に入るのを拒んで、家老に自らを討たせた。(1563〜1600) ⇒ほそかわ【細川】

ほそかわ‐しげかた【細川重賢】‥カハ‥🔗🔉

ほそかわ‐しげかた細川重賢‥カハ‥ 江戸中期の熊本藩主。天明の大飢饉の時、貯米により救済。行政機構の整備、専売制の導入、藩校時習館の創建等、藩政改革(宝暦改革)を推進。銀台公と称。(1720〜1785) ⇒ほそかわ【細川】

ほそかわ‐すみもと【細川澄元】‥カハ‥🔗🔉

ほそかわ‐すみもと細川澄元‥カハ‥ 室町後期の武将。管領細川政元の養子。同じ養子で前将軍足利義稙を擁する高国と家督をめぐって争い、将軍義澄を奉じて戦ったが、敗れて阿波に下り病死。(1489〜1520) ⇒ほそかわ【細川】

ほそかわ‐たかくに【細川高国】‥カハ‥🔗🔉

ほそかわ‐たかくに細川高国‥カハ‥ 室町後期の武将。管領細川政元の養子。同じ養子の澄之・澄元と家督をめぐって争い、前将軍足利義稙を復位させ、管領となる。のち三好氏の下剋上にあい自刃。(1484〜1531) ⇒ほそかわ【細川】

ほそかわ‐ただおき【細川忠興】‥カハ‥🔗🔉

ほそかわ‐ただおき細川忠興‥カハ‥ 安土桃山時代の武将。幽斎の子。織田信長に仕え、丹後宮津城主。妻ガラシヤの父明智光秀が信長を殺害した時、その招きに応ぜず、豊臣秀吉に従って軍功を積み、関ヶ原の戦には徳川氏に属して戦功あり、豊前・豊後40万石に封。1620年(元和6)剃髪して三斎宗立と号。和歌・典故に通じ、また茶の湯を好んだ。(1563〜1645) ⇒ほそかわ【細川】

ほそかわ‐はるもと【細川晴元】‥カハ‥🔗🔉

ほそかわ‐はるもと細川晴元‥カハ‥ 室町時代の武将。澄元の子。阿波から迎えられて管領となったが、家臣の三好長慶に京都を追われ、細川家の管領は事実上終わる。(1514〜1563) ⇒ほそかわ【細川】

ほそかわ‐まさもと【細川政元】‥カハ‥🔗🔉

ほそかわ‐まさもと細川政元‥カハ‥ 室町幕府の管領。勝元の子。応仁の乱後将軍足利義澄を擁して実権を握る。女を近づけず、澄之・澄元・高国を養子としたが、その家督争いにまきこまれ、澄之を擁した香西元長らに暗殺された。(1466〜1507) ⇒ほそかわ【細川】

ほそかわ‐ゆうさい【細川幽斎】‥カハイウ‥🔗🔉

ほそかわ‐ゆうさい細川幽斎‥カハイウ‥ 安土桃山時代の武将・歌人。三淵晴員の子。本名、藤孝。忠興の父。剃髪して玄旨幽斎と号し、信長・秀吉・家康3代に仕えて重用された。三条西実枝さねきに古今こきん伝授を受け、近世歌学の祖と称された。家集「衆妙集」。(1534〜1610) ⇒ほそかわ【細川】

ほそかわ‐よりゆき【細川頼之】‥カハ‥🔗🔉

ほそかわ‐よりゆき細川頼之‥カハ‥ 南北朝時代の武将。室町幕府の管領。武蔵守。幼将軍足利義満を援けて南北朝後期の幕政を左右した。のち諸将の反発を受け失脚。(1329〜1392) ⇒ほそかわ【細川】

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