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広辞苑の検索結果 (10)

いくた‐がわ【生田川】‥ガハ🔗🔉

いくた‐がわ生田川‥ガハ 摩耶まや山に発源し、布引滝となり、神戸の市街地を流れ神戸港に注ぐ川。二人の男に求婚された葦屋あしやの娘が、そのいずれとも決めかね、「住みわびぬわが身投げてむ津の国の生田の川は名のみなりけり」と詠んでこの川に身を投げ、二人の男も後を追って沈んだという。大和物語に見える話で、万葉集にも同題材の歌がある。謡曲「求塚」や鴎外の戯曲「生田川」に作られる。→処女塚おとめづか⇒いくた【生田】

いくた‐けんぎょう【生田検校】‥ゲウ🔗🔉

いくた‐けんぎょう生田検校‥ゲウ 江戸前期の地歌・箏曲家。生田流の始祖。名は幾一いくいち。京都で活躍。北島検校(八橋検校門下)の門人。「鑑かがみの曲」「砧きぬた」「十二段すががき」などを作曲。(1656〜1715) ⇒いくた【生田】

いくた‐しゅんげつ【生田春月】🔗🔉

いくた‐しゅんげつ生田春月】 詩人。名は清平。米子市生れ。感傷的な象徴詩が多い。自殺。詩集「霊魂の秋」「象徴の烏賊」など。(1892〜1930) ⇒いくた【生田】

いくた‐じんじゃ【生田神社】🔗🔉

いくた‐じんじゃ生田神社】 神戸市中央区にある元官幣中社。祭神は稚日女神わかひるめのかみ。 生田神社 撮影:的場 啓 ⇒いくた【生田】

いくた‐ちょうこう【生田長江】‥チヤウカウ🔗🔉

いくた‐ちょうこう生田長江‥チヤウカウ 評論家・翻訳家。名は弘治。鳥取県生れ。東大卒。明治末から大正にかけて思想界で活躍。ニーチェ全集やダヌンツィオ「死の勝利」の訳でも著名。作「超近代派宣言」など。(1882〜1936) ⇒いくた【生田】

いくた‐の‐もり【生田の森】🔗🔉

いくた‐の‐もり生田の森】 生田神社境内の森。源平両氏や楠木・新田・足利氏などの古戦場。 生田の森 撮影:的場 啓 ⇒いくた【生田】

いくた‐よろず【生田万】‥ヨロヅ🔗🔉

いくた‐よろず生田万‥ヨロヅ 江戸後期の国学者。名は国秀。上州館林藩士の子。平田篤胤あつたねの門人。越後柏崎に塾を開き、天保の飢饉の際、1837年(天保8)大塩平八郎の乱に影響され、救民のために桑名藩支藩の柏崎陣屋を襲ったが、失敗して自刃。(1801〜1837) ⇒いくた【生田】

いくた‐りゅう【生田流】‥リウ🔗🔉

いくた‐りゅう生田流‥リウ 箏曲の一流派。広義には山田流以外の箏曲の総称。地歌と密接に結びつき、角爪を用いる。狭義には生田検校に始まる組歌の伝承をいい、古くは古八橋流や住山流に対し、後には新八橋流・継山つぐやま流・藤池流などに対する。古生田流・新生田流の別があり、京阪を中心として西日本一帯に行われる。津軽に流伝したものは郁田流と表記。→山田流 ⇒いくた【生田】

大辞林の検索結果 (10)

いくた【生田】🔗🔉

いくた 【生田】 神戸市の地名。「生田の池」「生田の浦」「生田の野」「生田の森」「生田川」などの形で,多くの場合「幾度」を導く序や「行く」の意をかけて古歌に詠まれた。((歌枕))「幾度(イクタビ)か―の浦に立帰る浪にわが身を打ち濡らすらむ/後撰(恋一)」

いくた-がわ【生田川】🔗🔉

いくた-がわ ―ガハ 【生田川】 神戸市中を流れる川。摩耶(マヤ)山を水源として,布引(ヌノビキ)の滝をなし,神戸港に入る。葦屋(アシヤ)の菟原処女(ウナイオトメ)が二人の男(菟原(ウナイ)・血沼(チヌ))に求婚されて入水した妻争い伝説で有名(「万葉集 1809」「大和物語 147」)。謡曲「求塚」や森鴎外の戯曲「生田川」の素材となる。((歌枕))

いくた-じんじゃ【生田神社】🔗🔉

いくた-じんじゃ 【生田神社】 神戸市中央区にある神社。祭神は稚日女神(ワカヒルメノカミ)。

いくた-の-もり【生田の森】🔗🔉

いくた-の-もり 【生田の森】 生田神社境内の森。源平および新田・足利両氏の合戦があった所。今は,数本の巨木を残すのみ。((歌枕))「君住まばとはまし物を津の国の―の秋のはつ風/詞花(秋)」

いくた【生田】🔗🔉

いくた 【生田】 姓氏の一。

いくた-けんぎょう【生田検校】🔗🔉

いくた-けんぎょう ―ケンゲウ 【生田検校】 (1656-1715) 生田流箏曲の創始者。京都の人。元来は八橋流。本来は別種目だった地歌と箏曲を結合させて,箏爪を角爪に改め,箏の調弦法に新工夫を加えたといわれる。

いくた-しゅんげつ【生田春月】🔗🔉

いくた-しゅんげつ 【生田春月】 (1892-1930) 詩人。鳥取県生まれ。本名,清平。生田長江宅に寄寓しながらドイツ語を修得。のち,ハイネの翻訳・研究に努めた。純情な魂の苦悶(クモン)をうたった感傷的・虚無的な詩風。詩集「象徴の烏賊」など。

いくた-ちょうこう【生田長江】🔗🔉

いくた-ちょうこう ―チヤウカウ 【生田長江】 (1882-1936) 評論家・翻訳家。鳥取県生まれ。本名,弘治。東大卒。明治末から大正期にかけての戦闘的な自由思想家として文芸・社会評論,ニーチェなどの翻訳で活躍。評論集「最近の小説家」など。

いくた-よろず【生田万】🔗🔉

いくた-よろず ―ヨロヅ 【生田万】 (1801-1837) 江戸後期の国学者。上野(コウズケ)の人。平田篤胤(アツタネ)に学ぶ。藩政を批判して館林藩を追放され,越後柏崎に国学の塾を開く。翌年,天保の飢饉(キキン)(1836年)に際し,救民のために起ち柏崎の陣屋を襲ったが敗死した(生田万の乱)。

いくた-りゅう【生田流】🔗🔉

いくた-りゅう ―リウ 【生田流】 箏曲の流派。山田流とともに二大流派をなす。一七世紀末に生田検校が創始。箏と地歌三弦との合奏を重視し,地歌とは不可分な関係にある。主として関西で行われ,大正期以降には全国に広まった。 →山田流

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