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広辞苑の検索結果 (10)

アブドゥフ【Muḥammad ‘Abduh】🔗🔉

アブドゥフMuḥammad ‘Abduh】 エジプトのイスラム神学者・法学者。啓示と理性、宗教と文明の調和を説き、イスラムの法制および教育の改革に貢献。著「唯一神教の書」など。アブドゥ。(1849〜1905)

イクバール【Muḥammad Iqbāl】🔗🔉

イクバールMuḥammad Iqbāl】 インドの詩人・思想家。パンジャブ生れ。ウルドゥー語・ペルシア語の詩でイスラム教徒に多大な影響を与えた。パキスタンでは国民的詩人として敬愛。(1877〜1938)

ジンナー【Muḥammad Alī Jinnāh】🔗🔉

ジンナーMuḥammad Alī Jinnāh】 パキスタン建国の父。1916年、ムスリム連盟議長。初代のパキスタン総督。尊称はカーエデアーザム(偉大な指導者)。(1876〜1948) カラチ ジンナーの墓 撮影:小松義夫

ナギブ【Muḥammad Najīb】🔗🔉

ナギブMuḥammad Najīb】 エジプトの軍人・政治家。1952年クーデターを断行、ファルーク国王を追放。同年首相、翌年初代大統領。54年失脚。(1901〜1984)

ムバラク【Muḥammad Ḥusnī Mubārak】🔗🔉

ムバラクMuḥammad Ḥusnī Mubārak】 エジプトの軍人・政治家。1981年大統領。(1928〜)

ムハンマド【Muḥammad】🔗🔉

ムハンマドMuḥammad】 (賞讃される者の意)イスラムの開祖。アラビアのメッカ生れ。40歳頃アッラーの啓示を受け、預言者として唯一神の信仰と偶像崇拝の排斥、人間の平等性を訴えて新宗教を提唱したが、支配者の迫害を蒙り、622年ヤスリブ(現在のメディナ)に聖遷(ヒジュラという)、教勢を拡張して630年メッカの征服を達成。勢力は全アラビアに及び、632年10万の信徒を従えてメッカ巡礼を行い、アラファートでの説教の後、まもなく病没。啓典としてコーラン(クルアーン)を残した。マホメット。(570頃〜632) ⇒ムハンマド‐アリー【Muḥammad ‘Alī】 ⇒ムハンマド‐ザマーン【Muḥammad Zamān ibn Ḥājj Yūsuf】

ムハンマド‐アリー【Muḥammad ‘Alī】🔗🔉

ムハンマド‐アリーMuḥammad ‘Alī】 エジプトの統治者。アルバニア系の軍人で、オスマン朝のエジプト総督となり、後にムハンマド‐アリー朝(1805〜1953)の開祖。エジプトの近代化を推進したが、領土拡張政策が列強の介入を招いた。(在位1805〜1848)(1769〜1849) ⇒ムハンマド【Muḥammad】

ムハンマド‐ザマーン【Muḥammad Zamān ibn Ḥājj Yūsuf】🔗🔉

ムハンマド‐ザマーンMuḥammad Zamān ibn Ḥājj Yūsuf】 ペルシア、サファヴィー朝の細密画家。17世紀後半の人。ローマに留学し、西洋画の技法を習得して細密画に新風をもたらした。 ⇒ムハンマド【Muḥammad】

ヤークーブ‐ベク【Muḥammad Ya‘qūb Beg】🔗🔉

ヤークーブ‐ベクMuḥammad Ya‘qūb Beg】 東トルキスタン(新疆)のカシュガル‐ハン国の支配者。ホーカンド‐ハン国出身。軍人となり、清の新疆地方に進出、一時タリム盆地全域を支配したが、清軍に敗れる。阿古柏伯克。(1820頃〜1877)

リダー【Muḥammad Rashīd Riḍā】🔗🔉

リダーMuḥammad Rashīd Riḍā】 シリア人のイスラム改革思想家・著述家。エジプトに移住し、イスラム復興を訴える雑誌「マナール(灯台)」を刊行。著「カリフ制」など。(1865〜1935)

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Mu・ham・mad[muhmd](英和)🔗🔉

Mu・ham・mad[muhmd] n.,a.=Mohammed.

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