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あしかがよしのり【足利義教】🔗🔉

あしかがよしのり【足利義教】 (1394-1441) 室町幕府 6 代将軍(在職,1429-1441)。義満(よしみつ)の子。義円と称して僧籍にあったが,義持の死後,石清水社前で諸将が行なった鬮(くじ)によって後嗣と決定。鎌倉公方足利持氏や土岐持頼らを討って将軍の権力を強めたが,赤松満祐(みつすけ)に暗殺された。→嘉吉(かきつ)の乱

あしかがよしはる【足利義晴】🔗🔉

あしかがよしはる【足利義晴】 (1511-1550) 室町幕府 12 代将軍(在職,1521-1546)。義澄の子。細川高国に擁立されて将軍となった。実権なく,三好長慶・細川晴元らの政争に翻弄(ほんろう)され,将軍職を子の義輝に譲った。

あしかがよしひさ【足利義尚】🔗🔉

あしかがよしひさ【足利義尚】 (1465-1489) 室町幕府 9 代将軍(在職,1473-1489)。義政・日野富子の子。叔父義視(よしみ)と将軍継嗣を争い,応仁の乱を誘発。近江の六角高頼(1462-1520)討伐のため出陣中病死。和歌をよくした。

あしかがよしまさ【足利義政】🔗🔉

あしかがよしまさ【足利義政】 (1435-1490) 室町幕府 8 代将軍(在職,1449-1473)。義教(よしのり)の子。弟義視(よしみ)を養子としたが翌年実子義尚(よしひさ)が生まれ,将軍継嗣争いは応仁の乱の一因となった。73 年将軍職を義尚に譲り,のち東山に銀閣を建立。宗教・芸術を愛好し,東山文化が栄える因をなした。東山殿。

あしかがよしみ【足利義視】🔗🔉

あしかがよしみ【足利義視】 (1439-1491) 室町時代の武将。義教(よしのり)の子。義政の弟。今出川殿。義政の後嗣となる。翌年,義政の妻日野富子に義尚(よしひさ)が誕生したことから将軍継嗣争いとなり,義政と対立,応仁の乱を誘発した。

あしかがよしみつ【足利義満】🔗🔉

あしかがよしみつ【足利義満】 (1358-1408) 室町幕府 3 代将軍(在職,1368-1394)。義詮(よしあきら)の子。号は鹿苑院殿。1378 年室町殿造営。92 年南北朝合一を成しとげ,有力守護大名を抑えて幕府権力を確立し,94 年将軍職を義持に譲る。97 年北山に金閣を建て,北山殿と呼ばれた。1401 年明に入貢,貿易につとめた。→勘合貿易

新辞林 ページ 148