複数辞典一括検索+

とくがわいえつな【徳川家綱】🔗🔉

とくがわいえつな【徳川家綱】 (1641-1680) 江戸幕府第 4 代将軍(1651-1680)。家光の長男。幼名竹千代。保科正之・酒井忠清が補佐した。

とくがわいえなり【徳川家斉】🔗🔉

とくがわいえなり【徳川家斉】 (1773-1841) 江戸幕府第 11 代将軍(1787-1837)。一橋治斉の長男。家治の養子。幼名豊千代。田沼意次を排して,松平定信を老中主座とし,学問を奨励,寛政の改革を行わせた。定信失脚後家斉親政になると,幕政はゆるみ,爛熟した化政文化が現出。隠居後も大御所と称して実権を握った。側室 40 人,子女 55 人を数えた。

とくがわいえのぶ【徳川家宣】🔗🔉

とくがわいえのぶ【徳川家宣】 (1662-1712) 江戸幕府第 6 代将軍(1709-1712)。甲府藩主徳川綱重の長男。綱吉の養子。幼名虎松。側用人,間部詮房(まなべあきふさ)を老中とし,新井白石を登用して正徳の治を行なった。

とくがわいえはる【徳川家治】🔗🔉

とくがわいえはる【徳川家治】 (1737-1786) 江戸幕府第 10 代将軍(1760-1786)。家重の長男。幼名竹千代。老中田沼意次は積極的な経済政策を行なったが,他方で賄賂が横行した。

とくがわいえみつ【徳川家光】🔗🔉

とくがわいえみつ【徳川家光】 (1604-1651) 江戸幕府第 3 代将軍(1623-1651)。秀忠の二男。幼名竹千代。諸法度の制定,参勤交代など諸制度を整備,キリシタンを弾圧して鎖国を断行,以後 200 年余にわたる幕府の支配体制を確立した。

とくがわいえもち【徳川家茂】🔗🔉

とくがわいえもち【徳川家茂】 (1846-1866) 江戸幕府第 14 代将軍(1858-1866)。紀州藩主徳川斉順の長男。幼名菊千代。紀州藩主時代の名は慶福(よしとみ)。井伊直弼(なおすけ)に擁立され,皇女和宮を迎えて公武合体策を推進。第二次長州征伐出陣中大坂城で病死。

新辞林 ページ 5729