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とくがわいえよし【徳川家慶】🔗🔉

とくがわいえよし【徳川家慶】 (1793-1853) 江戸幕府第 12 代将軍(1837-1853)。家斉の二男。幼名敏次郎。はじめ家斉が大御所として実権を握っていたが,その死後水野忠邦を登用して天保の改革を行わせた。1853 年ペリー来航直後に病没。

とくがわじだい【徳川時代】🔗🔉

とくがわじだい【徳川時代】 ⇒江戸時代

とくがわただなが【徳川忠長】🔗🔉

とくがわただなが【徳川忠長】 (1606-1633) 江戸初期の大名。幼名国松。通称駿河大納言。将軍秀忠の三男。駿府 55 万石の大名だったが,兄の将軍家光と不和になり,改易後上野高崎城で自刃させられた。

とくがわつなしげ【徳川綱重】🔗🔉

とくがわつなしげ【徳川綱重】 (1644-1678) 江戸前期の大名。家光の三男。家宣の父。幼名長松麿。通称甲府殿。甲府 25 万石領主。5 代将軍就任を図ったが,大老酒井忠清に阻まれた。

とくがわつなよし【徳川綱吉】🔗🔉

とくがわつなよし【徳川綱吉】 (1646-1709) 江戸幕府第 5 代将軍(1680-1709)。家光の四男。幼名徳松。母(桂昌院)は本庄氏。上野館林 15 万石の領主。4 代将軍家綱の養子となり将軍職を継いだ。文治主義の政治を展開,その後,側用人柳沢吉保を登用,悪貨乱発・生類憐みの令の制定など悪政を重ねた反面,元禄文化の出現を見た。犬公方(いぬくぼう)。

とくがわなりあき【徳川斉昭】🔗🔉

とくがわなりあき【徳川斉昭】 (1800-1860) 江戸末期の水戸藩主。治紀の三男。字(あざな)は子信,号は景山・潜竜閣。諡号,烈公。弘道館の設立,兵制改革などの藩政改革を行い,幕政参与となったが,井伊直弼と対立,安政の大獄で蟄居(ちつきよ)させられた。

とくがわのぶやす【徳川信康】🔗🔉

とくがわのぶやす【徳川信康】 (1559-1579) 戦国時代の武将。家康の嫡出長男。織田信長の娘を娶り,岡崎城主。信長から武田氏通謀の嫌疑をかけられ家康の命により二俣城で自刃。

新辞林 ページ 5730