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みなもとのみちちか【源通親】🔗⭐🔉
みなもとのみちちか【源通親】
⇒土御門通親(つちみかどみちちか)
みなもとのみつなか【源満仲】🔗⭐🔉
みなもとのみつなか【源満仲】
(?-997) 平安中期の武将。経基の子,頼光・頼信の父。鎮守府将軍。安和(あんな)の変で,源氏発展のきっかけをつかんだ。摂津多田荘に住み多くの郎等を養い,多田源氏を称したので多田満仲(ただのまんじゆう)ともいう。摂津源氏の祖。
みなもとのゆきいえ【源行家】🔗⭐🔉
みなもとのゆきいえ【源行家】
(?-1186) 平安末・鎌倉初期の武将。為義の十男,義朝・為朝の弟。新宮十郎とも称す。以仁王(もちひとおう)の平氏追討の令旨を諸国の源氏に伝えた。平氏滅亡後は,義経と結んだが,和泉で頼朝の兵に殺された。
みなもとのよしいえ【源義家】🔗⭐🔉
みなもとのよしいえ【源義家】
(1039-1106) 平安後期の武将。頼義の長男,義光の兄。八幡太郎と号す。前九年の役に活躍して出羽守となり,ついで陸奥守兼鎮守府将軍となった。後三年の役を鎮定し,東国における源氏の勢力の基礎を築いた。
みなもとのよしつね【源義経】🔗⭐🔉
みなもとのよしつね【源義経】
(1159-1189) 平安末・鎌倉初期の武将。義朝の九男。母は常盤(ときわ)。幼名,牛若丸・九郎・遮那(しやな)王。検非違使尉(判官)に任ぜられたので九郎判官とも。平治の乱後,鞍馬寺に預けられ,のち奥州平泉の藤原秀衡(ひでひら)の保護を受けた。1180 年兄頼朝の挙兵に応じて 84 年源義仲を討ち,一ノ谷・屋島・壇ノ浦に平家一族を破った。のち頼朝と対立,再び秀衡のもとに逃れたが,その子泰衡に襲われ,衣川で自刃した。悲劇的な生涯が伝説や文学作品の素材となった。
みなもとのよしとも【源義朝】🔗⭐🔉
みなもとのよしとも【源義朝】
(1123-1160) 平安末期の武将。為義の長男,為朝・行家の兄。保元の乱で後白河天皇方に加わった。のち平清盛と対立,平治の乱を起こして敗れ,東国に逃れる途中,尾張で殺された。
新辞林 ページ 7840。